ゼロの視点
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2004年07月02日(金) 訳すことの限界

 早朝、日本より電話。母の家の裏に住んでいるY嬢だった。彼女はいつもつかず離れずで、母の様子を見ていてくれる人。今回の母のクーリングオフ騒動でも活躍してくれた、私にとっても大変ありがたい人でもある。

 Y嬢から、ここ一週間の母の様子を聞いて、どうやら本日、母がデイサービスをサボっているらしい情報も入手したので、さっそくデイサービスセンターへ電話して、どんな理由で母が本日のことを断ったか?、などを尋ねる。

 そして、クーリングオフ騒動や近所の人の証言などもあわせて、今度はケアマネージャーI嬢に電話する。

 母は、私が出発前に必死に作った週間予定表をなくしてしまったのだった。なくさないように・・・・、ということで、冷蔵庫のドアにセロテープでベタベタに張っておいた、というのに・・・。なので、ケアマネI嬢に予定表の作成をお願いしたのだった。

 その後、母に電話して、また喧嘩になって母に電話を切られる。非常に腹立たしいっ!!。やさしくしようとしても不可能だーーーー。



12時頃に、とあるメトロのホームでY嬢と待ち合わせし、S嬢宅へ向かう。自宅からメトロに乗る前は、天気だったのに、メトロを降りた時点では、まるでちいさな嵐のような天気。なので、いそいで傘を購入。

 S嬢宅に到着するやいなや、S嬢の夫MそしてS嬢の母殿と5人で近くの中華レストランへ。S嬢の母殿があまりにもおもしろい発言をするので、このテーブルに座るたった1人だけ日本語を解さないS嬢の夫Mに申し訳ないような気がしながらも、4人で日本語で喋り捲り、食べまくる。

 おまけに、日本のテレビ番組などの話になると、いくらフランス語できちんと訳したところで、その番組自体などを知らないと話にならないことが多々アル。こういった時、つくづく非日本人との交流の難しさと感じる昨今。我が夫も含めて、だ。

 日本滞在中に、何度か夫に介護保険のことを説明してみようとトライしたが、この制度のことは理解できても、それにまつわる行政の対応などを夫はよく理解することができなかった。なぜなら、フランスのソレとあまりにも違うから、だ。それでも理解させようとすると、一冊本を書いたほうが早そうなほど、多角的に説明しないといけないような気がしてきて、説明自体を大分端折ったような気がする。

 そんなわけで、今回は、S嬢の夫Mはほとんどテーブルで発言することのないまま、ランチが終了した。これが、我が夫だったら、Mほど我慢してないのだろうな・・・、と思うことしきり(汗)。

 とはいえ、その後Mを抜いた日本人4人だけで再びカフェで集い、延々とお喋り。その席で、各々が“昔、私たちがこっちに来たての頃は、Mみたいに会話に参加できず、退屈な時間を過ごしたものだった”等と言って、お互い様だっ、という結論に至る(笑)。

 殊に、ただ今日本からパリに来ているS嬢の母などは、娘であるS嬢の義理家族と一緒に食事したりする場面によく出くわすものの、そこでの会話はよくわからない。わからないからこそ、視点を変えて、同席した人たちの挙動を観察したりして、それなりに楽しんでみたりしているとのこと。が、これが毎日続くとなると、さすがにちょっとツライというのも本音。

 となると、私もY嬢もS嬢も、それなりに一番退屈な時間というのを越えて現在に至るわけだから、結構頑張ったのねェ・・・・、と自画自賛。


 今は、愛猫と一緒に日本で留守番しているというS嬢の父が、母に持たせたお金で、私とY嬢は全部奢ってもらってしまった。縁側でネコを抱きしめているS嬢の父親の後姿などを想像しながらも、たらふく食べさせてもらった。ありがとう。


 その後は、S嬢らと別れまっすぐ家に戻ろうか?、と思っていたのだが、気がついたらY嬢と一緒にまた別のカフェへ移り、そこでビールを飲みまくり。Y嬢は非常に酒に強く、いい酒のみ友達だったのだが、残念なことに彼女は来週にはロンドンへ引越ししてしまう。

 なので、これが最後ということで、飲みまくり&話しまくり。レ・アール近くのテラス席で、馬鹿笑いしながら大ジョッキ抱えている日本人女性2人は、私たちでした・・・・・(汗)。


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