ゼロの視点
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2004年06月24日(木) 出発

 さすがに、ガス欠になってきた私。もう、ここで無理してもダメなので、ぼんやりして過ごす。

 とはいえ、またヘルパーやケアマネージャーが最終打ち合わせでやってきたりするので、完全休息はならず。

 午後は、今朝慌てて荷造りしたスーツケースを宅配業者に渡す。予定時間までに来なかったので、イライラ。思わず、業者にさりげない苦情の電話を入れると、その直後にトラックが到着。

 佐○急便のにいちゃんが、“いやあ、雲隠れもできませんねェ!!”とアタマをポリポリしながら、やってきたので思わず笑ってしまった。

 が、これで終わったわけじゃない。まだ、機内持込用荷物の準備が待っている・・・。巨大なスーツケース以外に、必ず機内持ち込み可能なソフトスーツケースと、リュックで乗り込むのが私流。このソフトスーツケースも、マジで機内持込可能なサイズ?、反則では?、という感じでデカイし、重い(笑)。

 逆に言えば、この時点で半分しか荷造りが終わってないのだ・・・(汗)。


 さて、夕方は、母のことを非常に世話してくれるご近所さんにあらためてあいさつ回り。花束じゃなくて、鉢植えをもって、だ。庭付き一戸建ての主婦にとっては、きっと花束より、鉢植えのほうがいいだろうと、あらかじめ考えたゆえ。いざ、という時の緊急連絡網も大量にコピーしておいたので、それも預かってもらう。

 また、小学校からの幼なじみM嬢の両親宅へ、母のクルマの鍵を預けに行く。投薬も始まり、新生活も同時にスタートする母。なので、とりあえず落ち着くまで・・・、という理由で母からクルマのキーを取り上げる。

 夕食後は、壁にデカデカと貼れるタイプの、母用の週間予定表、私の滞在中に新しくなった電話の使い方(殊に留守電機能について)の早わかり図表、ヘルパーおよび配食サービスのキャンセルの仕方の早わかり表等の作成にとりかかる。

 この時点でもう午前0時近い・・・・。ひえっ。明日は、本当に出発が早い。なおかつ、クルマのキーを預けてしまった今、重い荷物をひきずりながら最寄駅まで延々と歩かねばならない・・・・。

 それでも、まだダラダラしたかったので、一風呂浴びてからビール飲んで、『赤い衝撃』の再放送を見終わってから、最終荷造り。午前3時頃のことだ。

 昔から、母が2階で寝た後、夜中1人、一階で好きなように過ごすのが習慣だったので、不思議な気分。また、母が起きてきた頃、私が今度は眠りについて、また明日もここにいるような錯覚が私を襲う。でも、本当は、明日の今ごろは、もうパリに到着しているはず。

 もう、当分この家で眠ることもないので、里帰り中は万年床だった私のベットを片付ける。午前4時。

 だいたい終わってきたので、出発前にははやく起こせと私に言っていた母をたたき起こしに行く。午前5時。そして、早朝に母と久々にのんびりする。

 奇妙なことに、本日の母はまったく呆けてないっ!!。衝撃的だ。すべての予定は言えるし、自覚もある。昔のように、テキパキしているっ!!。どうしたというのだ?!?!?!。今まで、私を騙していたのか?。わからん、わからん、わからん・・・・。

 一過性のことなのか?、と思われたが、母はずうっとテキパキしている。私がそれを突っ込むと、母は爆笑して、“ホントね、今日はとってもアタマがハッキリしているわっ”と言い返してくる。何が起こったのか?。

 子供を駅まで送っていかなきゃとか、これから色々とやることがあるとか、そういったことが彼女を変えたのか?。ま、これが長続きすりゃあ、問題はないのだが・・・。

 駅まで歩く道すがらも、母のほうがテキパキ歩いていく。最寄駅までの歩道は盲人用の点字ブロックが張り巡らされており、スーツケースを持ってだと、非常に歩きにくいゆえ、必然的に私の歩く速度は遅くなる。私のリュックを背負った母は、どんどん先へ進んで行く・・・・・。

 “ちょっと待ってよっ、ばばあっ!!”と叫びたくなるほど。

 母の速度で、あっという間に最寄駅に到着してしまったので、しばしベンチに座って休息。

 ようやく電車が来て、ホームで母とお別れ。電車のドアが閉まり、窓越しに小さくなっていく母の姿。どこまで母が、新しい生活の中で、楽しんでやっていってくれるのだろう?!?!?!、と思いつつ、母の姿はとうとう見えなくなった。


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