ゼロの視点
DiaryINDEXpastwill


2004年06月23日(水) 誕生日

 今日は私の37回目の誕生日。37年前の猛暑の日に、東京都立川市の共済病院にて生まれている。

 子供が産まれるということで、自分の研究時間が脅かされる恐怖と、父親になるという責任感から、完全に幼児がえりしていた当時47歳だった私の父は、出産にも立ち会わず(笑)。が、母は一人で準備して病院へ行き、予定時刻をきちんと守って私を産んだらしい。

 で、今でも、母が時間厳守だったのか?、それとも私が時間厳守だったのか?、というくだらないことで母と言い合いになる。



 37回目の私の誕生日は、これまでの人生で一番奇妙だったともいえる。



 午前中に、明け方までかかって作成した、ケアマネージャーとヘルパー向けに念入りに作成した“母の取り扱い方説明書”と、地図付きの緊急連絡網の大量コピーを、近くのコンビニで済ます。

 そして、家に戻り、ランチを作って母と味わい、一息つく間もなく、また書類などの最終チェック。時計を見ると、あと数分でケアマネージャーがヘルパーを連れてやってくるだろう・・・・、と思ったら、玄関のチャイムがなる。

 多分、一緒に酒を飲んだら気が合いそうなケアマネのI嬢の説明で、居間で打ち合わせが始まる。私の“時間がない”という要求に、本当にI嬢はよくやってくれて感謝している。また、本当にラッキーなことに、ことによると時間がかかることが、どんどんうまく運びここまできた。

 先日、幼なじみM嬢の両親から、ヘルパーの選択についてのアドヴァイスをもらっていた私。実は、ケアマネI嬢から、医療機器会社系列のヘルパーを紹介すると言われていたのだが、これをM嬢の両親に話すと、別にけなしはしないが、あまりいい顔はしなかったのをよく覚えていた。

 なんで私が彼らの反応を覚えていたか?、というと私も薄々そう思っていたから、である(笑)。とはいえ、ま、これも運命だ、しょうがない、と思っていたら、また奇妙なことが起こった。

 ケアマネI嬢が、医療機器系のヘルパー斡旋会社に電話すると、その責任者はなんと、私の小学校の同級生の母親だったらしい。そして、PTAか何かで私の母と対立していたことが発覚。相手側は、それでも私の母が気にしないのなら喜んでお手伝いします・・・、ということだったが、それをケアマネI嬢から聞いて、二人で色々と話し合った上、面倒は極力避けたほうがいいということになり、この話は流れた。

 そして、気がついたら、企業系のヘルパーじゃない人を紹介されることになっていた。この結果は、まだはじまってないのでなんともいえないが、スタート地点としては、私は満足。



 介護の世界は、契約。ゆえにたくさんの書類に目を通し、サインをして、印鑑をつく。各ページに割り印を押し、それを繰り返す作業が続く。私はもともと印鑑の押し方が下手だったのに、印鑑のいらないフランス社会で益々その習慣が消えてしまった今、非常にこれらが面倒くさく感じる。

 今回もまた、あまりにも詳細なレポートを作成してしまっていたらしい私の対して、ケアマネI嬢は、これで私の仕事の半分は終わってしまったっ、と笑っていた。

 これが終わると、次に配色サービスの責任者がやってくる。また、彼を相手に居間で打ち合わせ。食器の取り扱い方をはじめ、数々の規則の説明をうける。

 そして、お次はデイサービスセンターの責任者が訪問してきて、再び契約書を前に打ち合わせ。この責任者にも、“母の取り扱い方説明書”を渡しておいた。支払いは銀行自動引き落としになるので、用紙に記入やらなんやら、本当に本日だけで何回印鑑をついたか、数え切れない。

 そして最後に、今度は自動車保険のことについて、保険屋がやってくる。母には残念だが、これを機に一切運転するのを止めてもらうつもりなので、もし私が母の保険を引き継いだ場合、いくら保険料が安くなるか厳しく見積もりさせてみる。あーだこーだ言って、おすすめ保険を言ってくるが、却下。また、即答するつもりもない。

 そして最後に、保険屋に“母のところを直接訪問する前に、必ず私にメールで一切の説明をすること”を強要し、納得させる。うーーーん、自己満足(笑)。とにかく、ホイホイと金は払いたくないのだ、私はっ!!。

 昼からはじまった契約地獄が終わったのは午後6時過ぎ。いやあ、疲れた・・・・っ。

 そして、一息ついたところで晩御飯のしたくをはじめると、今度は幼なじみM嬢の母君がやってきた。九州風の野菜の煮込みを作ったので、どうぞ、とのことだった。そして、しばらく母とM嬢の母君と私の3人で居間で談笑したのち、私の不在中のクルマの管理についてのことに話題が及んだ。

 さりげなく、私に鍵の管理を申し出てくれるM嬢の母君。いやあ、本当に救われた。母の近所で鍵を預かっていてもらえれば、本当に助かる。また、これがコミュニケーションのきっかけにもなるだろうし、いざ、車検などで母が鍵が必要になっても、すぐに取りに行ける。

 クルマを処分してしまうのは簡単。とはいえ、また私が実家に戻ってきた時に足がないのは非常に不便。というわけで、このクルマは出来る限りキープしたい、というのが本音だったゆえ・・・・。

 

 やっと母と一息ついたあと、今度は私と母の間で打ち合わせ。気がついたら時計は午前1時をさしていた。私の37歳の誕生日は、あっという間に過ぎていった、ということになる。

 しかし、これで一応すべての準備が整った。本当にフランス帰国前、ギリギリセーフ。明日から配色サービスが始まり(母と一緒に試食予定)、あさって私が早朝に実家を出た数時間後から、母はデイサービスセンターに通い出す。

 母にとっても、寂しいだのなんだのといってられない“新しい生活”がいやおうなしに始まることになる。とはいえ、体制が整ったといえど、これ自体に母が嫌気をさしてしまったら、それでお終い。どこまで母が楽しめるか?、それが一番の問題だ。が、あまり不安は感じていない、私。

 とにかく、自分で問題を抱えるより、色々と体制と母自身の能力を信用していきたいと思っている。


Zero |BBSHomePage

My追加