ゼロの視点
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2004年06月19日(土) ラストスパート

 本日は、朝から母が介護保険を恩恵を被る事ができることを前提に、複数のデイサービスセンターの見学。私は5月初旬までデイサービスだの、デイケアだのの言葉の違いなど、全くわからなかったものだが、この里帰りでかなり詳しくなってしまった(笑)。

 出発間際に、もしものことを考えてネットで検索しまくった結果、おぼろげな意味はつかめたものの、それ以上は理解しようと思っていなかったのだった・・・・。

 デイサービスセンターとは、簡単にいえば高齢者の幼稚園のようなもの。同居してようがいまいがに関わらず、日中、手持ち無沙汰でボーッとしがちな高齢者が、センターに出向き、ケア人らに見守られながら、入浴、昼食、娯楽などを楽しみながら、脳に刺激を与えていくというような場所。

 私はこういった場所に、母を送り込みたかったのだっ!!。が、センターといっても、ピンからキリまであり、各自の趣向に合った場所を選ぶのは容易じゃない。

 母のケアマネージャーI嬢から、すでに数箇所を見学しておくようにと推薦リストをもらっていたものの、もし介護保険申請が却下されたことを考えると、無駄足になるので、今までやっていなかったのだ。

 が、明るい兆しが見えてきたので、母を連れてセンター巡り。が、一発目のところが、本当によかった。元うどん屋を改築した、日本家屋のセンターだった。少人数で、本当に手がよく届いている所なのだ。これなら、自分が高齢者になっても通ってもいい?、と思わせるところだった。責任者の女性がまた、優しく落ち着いていて、イライラすることがあるのだろうか?!?!?!、と思わせる人。

 今までこのセンターでの行事や日常風景の写真なども見せてくれたが、高齢者の顔が活き活きしている(←ま、うがってみればこういった写真だけを用意していると突っ込むこともできる、が・・・・)。

 母もかなり気に入ったようだった。ここなら自分がジジババの一員と思わずにいられる、と言っていたし・・・・。ま、充分ババなんだけれど(笑)。

 とはいえ、もうちょっと他の施設を見てみようと、今度は大規模なセンターへ出向いてみた。特別養護老人ホーム、ショートステイ、グループホーム、ケアハウス、在宅介護支援センター、ホームヘルプサービス、居宅介護支援事業、地域交流センター、在宅者機能訓練事業、在宅高齢者配食サービス事業・・・・・・・等、書ききれないほどの高齢者ビジネスをやっているところだ。そして、ピッカピかのホテルみたいなところ、だ。

 私達のアポ時間は14時。ちょうどランチが終わり、余興の時間になったところだった。足を踏み入れる否や、大音響のカラオケ。もう、ここで腰が引けてくる私達。私も母もカラオケが大嫌いなのだ・・・・。特に会話もなく、ただ歌っているだけの宴会など想像しただけで鳥肌が立ってくる。

 が、ここはそうだった・・・・・(汗)。ただでも、ボケが多かれ少なかれ入っている人たちが、他の人が歌っているのを完全に無視して、コックリ、コックリ、と無表情な顔でまどろんでいる姿は、実に怖い。

 視線を感じるので振り向くと、母が“よくもこんなところへ連れてきたなっ”という目で訴えてくる(笑)。私だって、たまらんぜ、かーさんっ。

 おまけに、主任が私達に色々と説明してくれるのだが、音の外れたカラオケにかき消されてしまって、なかなか会話にならん。もう、途中で、怒りより、おかしくなってしまって、一人で笑いが止まらなくなってしまった。

 素晴らしいアクティビティと語る主任に対して、雰囲気を見渡して、ただただ固まる母、そして壊れたように笑いが止まらない私・・・・、といった感じを想像していただけるだろうか?。

 確かに、きっとカラオケ好きな人にはいいセンターなのだと思うが。ハイテク機器に、大人数の高齢者。ボケのレベルに関わらず、皆同じこと(椅子に座ったままの体操など)をする。

 “引きこもり気味の母を社会生活に復活させる”という大義名分で、ここに母を送り込んだ暁には、さらに引きこもりに拍車をかける結果になることは火を見るより明らか。本末転倒だ。それに、彼女のまだらボケにも拍車がかかりそうだ・・・・。

 興味があったので、主任に色々とインタビューしたあと、センターを後にすると、やっぱり母は、私に対して怒っていたことを告白。“こんな所につれてやがって・・・”ということだった。そして、後で二人で大笑いしてしまった。


 さて、夕食のあとは、小学校からの幼なじみM嬢宅へ。といっても、M嬢自身は相変わらず、京都で撮影の仕事をしている。で、本日はM嬢の両親が私のコンサルタント。前にも書いたが、彼らは福祉・介護業界のプロ。今までも、さりげなく母のことについて相談にのってもらっていたが、本日は、M嬢の両親のほうが、私がフランスに戻った後の母の見守りを買って出てくれたので、それの打ち合わせ。

 いやあ、本当に感謝、感謝。もう言葉もでないほど、こういった申し出は嬉しい。おまけにM嬢宅は、母の家から徒歩5分。母のケアマネージャーのことも知っていて、“あの人は本当にしっかりしている人”と太鼓判まで押してくれた。

 M嬢の両親は、裏の裏まで介護業界を知っているので、もし母が変なケアマネージャーに当たってしまっていたら・・・、とかなり心配していてくれていた模様。色々と励みになると同時に、現実に即したアドヴァイスをたくさんいただいてしまった。

 殊に、私が帰国した直後に、母がガタっとおかしくなるのは目に見えるので、そのあたりを集中的に、つかず離れずのケアをしてくれるという。

 小さい頃から、よく遊びに言っていたM嬢の家で、M嬢抜きでこんな話をする時が来るとは、昔は想像もしてなかった。しかし、本当に助かるし、嬉しい。

 また、M嬢の両親以外にも、私の帰国後、私に代わって母の第二の愛犬探しをしてくれると申し出てくでるご近所さんが出現。

 そのほかにも、母のかつての犬の散歩仲間のご近所さんらが、定期的な母の見守りを買って出てくれている。

 そして、恐らく選択するであろう、私と母が一緒に気に入ったセンターの看護婦も、実は母のかつての犬の散歩仲間だったっ。彼女は、昔からさりげなく母にいつも声をかけてくれていた人でもある。

 ついつい、これは、私と故・愛犬マルチンのおかげなのだっ、ガハハっと、などといって母に恩を売りたくなるが、今のところはやめておく(笑)。

 そして、M嬢の父上は、私に母の見守り緊急ネットワークの作り方を伝授してくれた。なので、これを書き終えたら、M嬢の父上のノウハウに従い、親族、ご近所さん、介護チームなどをすべてひっくるめた詳細系図&住所録を作るつもりである。

 いつかは、こういった母の見守られ自立生活にも破綻がくるのだろうが、可能な限り続くことを祈るのみだ。じゃないと、誰も守る人がいなくなった家のこと、財産処理問題など、一挙に私の身に降りかかるのだから・・・・。

 それに、母国に自分の土地が完全に消えることを考えると、なんとかなるぜ・・・、といいながらかなりウロタエテしまう自分をハッキリと感じるゼロでした。


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