ゼロの視点
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2004年06月14日(月) 遺伝の恐怖

 色々と、アルツハイマーについて、介護経験者、またはその関係者などにメールや電話で相談する日々。

 そして、本日の午後、新しい地元のかかりつけになろうと思われる医者のところへ母と出向く。本日からは、私は本当に彼女について行くだけにする。病院への行きかた、受付でのやりとり、など、すべて彼女のペースでやってもらう。たとえ、まごまごしていても、最後の最後まで手を出さないやりかた、だ。

 医者との話も、まるで私がいないかのように進めてもらう。そして、ある程度母と医者の話が終わったら、私は私の視点なりに、再び医者に質問攻撃。

 昨年秋の、以前のかかりつけ大病院での脳ドッグから本日まで、時間がかかかりすぎているのが、私をイライラさせるのだが、それプラス、大病院の脳外科部長や、神経内科の医師も、たいしたことは言わずに、“70歳代の平均的な脳であり、そこに萎縮もなにもみられない”という診断だった。ただ、ボケテストにおいては、母の結果が正常より低かったこともあり、初期の痴呆の疑いありとはいえ、アルツハイマーと誰も宣告しなかった。

 さて、今度は地元の医者に行くと、いきなりアルツハイマーの疑い濃厚とのこと。これは、非常に私を混乱させる。なので、この医者に、

私『脳の断面図に異常がみられなくとも、アルツハイマーであると診断できるということに、個人的に興味があるのですが、説明いただけますか?。』

と問うてみた。

医者『初期というのは、脳の断面図にはでません。物凄い細かい検査をして、それもミクロ単位の検査だけでわかるのであります。ということで、診断云々に神経質になるより、現状の改善のほうが先になると思います』とのことだった。

私『次の質問ですが、仕事を失うとか、犬を失うなどの、ま、ある意味での人生の生き甲斐を喪失するショックでアルツハイマーになるということはありますか?』

医者『それは、ある意味で引き金になることはありますが、あくまでも引き金。もともとアルツハイマーになりやすいタイプというのがあるのです』

 いやあ、これには参った。ってことは、わしもなるのか、いずれ?!?!?!。母方の祖母が、脳の断面図までの診断はしなかったものの、最後は酷いボケで亡くなっているのだが、この体質を受け継いでいたら、ヤバイということになる。

 性格、脳の使い方は、母方よりは、父方に非常に似ていると言われることが非常に多い私ではあるが、父は早く亡くなっているので、参考にならん・・・・(汗)。もし、今父が生きていれば、84歳なので、ボケてたんだろうか?、と想像たくましゅうする私。

 以前、この日記にも書いたが、父方の祖父も、我が父も53歳で亡くなっているので、私もできることなら、このくらいで逝ってしまいたいと思っていたが、ますますそう思う今日この頃。フランスに埋葬されようが、それが日本だろうが、死んでしまったあとは知ったこっちゃない。

 夫の家系は、彼の父親がアルツハイマーとパーキンソンの合併のような症状を併発させて、1996年に亡くなっている。妻、つまりはわしの姑のかかりきりの介護もむなしく、病気を宣告されてからたった2年後に、80歳で亡くなってしまった、私の会ったことのない舅。

 逆に姑の家系には、痴呆の顕著な例で亡くなっている人は、今のところ聞いたことがない。私もそうだが、夫がどっちの家系であるか否かで、今後の人生が、ちと怖くなってくる(苦笑)。生き続けるのも大変だっ。



さて、母は、本日から医者に、先週から試しで渡されている抗鬱剤にプラス、アルツハイマーの初期に人によっては効果があるという薬・アリセプトを処方された。毎朝、これらの薬を一錠づつ、母は私が帰国した後、きちんと管理して飲んでいけるのだろうか?。隣人等に援助を頼むつもりだ。

 と、同時に、またまた本日から、私は料理&買い物をするのを一切やめることにした。出来る限り、母に全部やってもらう、親のためを考えた“私にとっての上げ膳据え膳”を実行する。母の以前の得意料理を、本当に今での再現できるか否か?、等たくさんの観察ポイントがある。

 また、これによって、もし介護保険申請が通った場合、ヘルパーさんらにお願いする詳細なことなども、さらに浮き彫りになってくることだろう。

 たまの里帰りの親孝行と称して、全部やってしまうのが、本当の親孝行にならないという皮肉。かなりテキパキとやってしまう娘を見て、これ以上自信を喪失されても困るし、それがいつまでも続くものだとも思ってもらいたくない。まだ、自分でできることを認識してもらわないと、ヤバイ。


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