ゼロの視点
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2004年05月16日(日) 親離れ子離れ

昨日の昼過ぎに、高校からの親友M嬢が二人の小さな息子を連れて我が家にやってきてくれる。

 彼女は、本当に長いことしょっちゅう私の実家にやってきては、連泊していたので、母のこともよく知っている。けっこう強烈なキャラだった母を生で見ていた彼女ゆえ、遊びに来がてら、同時に母を客観的に観察できるというわけだ。おまけに母は、犬および小さい子供が大好きなので一石二鳥。

 その後、5人でクルマにのって川原へ遊びに行き、散々子供連中と遊んだ。

 母は、過保護タイプゆえ、M嬢の5歳と2歳半の息子が縦横無尽に走り回る姿にオロオロ。M嬢の息子連中が、危なそうなことをやる前から、手を出して助けようとする。

 M嬢はある程度は注意するけれど、母ほどではない。私には子供はいないが、私も母がどうしてあそこまで手を出さないでいられないのか?、が理解できん。

 同時に、こういう母をみていると、色々なことを再認識することもできる。

 私は小さい時、大人しかった。靴もはかずに家を飛び出すということもなかったし、とにかく親にとって、私の挙動は扱いやすかったはずだ。ま、言動は時に凄かったと思うが・・・・(汗)。その頃の私を知っている人は、今でも“ゼロは変わったわねぇ”と言わないではいられないらしい。ま、本人としては、変わったつもりはないのだが。

 次に、私が成長して今度は愛犬マルチンを飼うようになった時のこと。母のマルチンに対する世話の仕方と、私のソレは全く違っていた。母は、マルチンが危ないことをしないようにどんどんと手をだし、その結果甘やかしていく。なので、階段も怖がって登れない。特に、実家の階段は急なので、確かに怖いと思えば難しいのだが・・・・。

 そんな母とマルチンのやり取りと見ていると、妙にイライラしてくる自分を発見した。というのは、マルに自分を投影していたのだともいえる。なぜ、思う存分やらせないのか?、もしマルチンが痛い思いしても、それはマルチンなりに危険を身をもって学ぶいいチャンスでもあるのではないか?、等。

 本当に危ない時には手を出すというのではダメなのだろうか?、ということ。

 そんな母に対抗するように、私はマルチンの階段昇降レッスンをしてみた。マルチンが怖がる数段目以上の階段に、好物の餌を置く。マルチンはそれを食べたいが、怖くて登ることができない。イライラして、母の方を向いて吼えるが、味方になってくれる人がいないとマルチンは悟ると、とうとう食い意地で、登れなかったはずの階段を登りだす。

 これを一段、一段高いところへ設定していくうちに、とうとうマルチンは階段を簡単に登れるようになってしまった(笑)。欲というものは、生物をここまで進化させるのか・・・、と思わず笑ってしまったほど。

 とはいえ、母の過保護により階段なんて登れないと、ある意味“マインドコントロール”されていたマルチンだったが、やりゃあ、できるのだった。

 母はよく外出しても、“ああ、マルチンがかわいそう”とさっさと用事を済ませて、すっ飛んで家に戻ってくる。私への場合も同じである。もしくは亡き父に対しても同じだったことは火を見るよりも明らか・・・。

 私は、これが本当によく理解できなかったし、今でも理解できない。世話好きというのを通り越して、他人を世話している自分を満たす行為じゃないか?、とさえ高校時代の頃から思っていた。

 母は、色々と習い事などもしていたが、教室が終わったあと、仲間とのつるんで一緒に食事に行くなどほとんどしたことがない。“夫が待っているから、かわいそう”“娘が待っているから、かわいそう”“マルチンが待っているから、かわいそう”というわけだ。

 旬な言い方をすれば、“共依存”な母というところだろうか。


 親友M嬢は3人姉妹の末っ子。思春期の頃、彼女は彼女なりに家族全員からガキ扱いされるという環境にかなりフラストレーションを蓄積させており、昔から私とM嬢は、こんな状況も含めて、あの人はこういう人だけれど、実はその背後にこういうことをしたいというエゴが隠されているだのなんだのと、延々と話し合うのが大好きだった(笑)。

 私は、高校までは地元で母の手の届く範囲(自転車で数分)で生活していたが、その後大学、就職などの機会にどんどん母の生活圏から離れていった。が、相変わらず一人暮らしには猛烈に反対していた母。なので、酔っ払おうが深夜になろうが、実家に戻る生活を送っていた。ま、だんだんと外泊の回数は増えていったとはいえ・・・。

 同じように、一人暮らしを簡単に許してもらえぬM嬢とは、私の免許取得(1989年)を皮切りに、しょっちゅう日本中を逃避旅行する相棒として、道路が続く限り果てしないドライブを繰り返した。

 M嬢がフラッと我が家にやってくる。そして、私がフッとクルマのエンジンをかける。そして、フラフラと何かに導かれるようにクルマに乗り込んだら最後、どこへ行くかわからない・・・・、そんな旅だ、半日で中国地方まで行ってしまい、九州の果てまで行き・・・・、なんてことはザラだった。

 今思えば、夫もそうだ。15歳で家を出る理由として、イギリス留学のチャンスをゲットし、その後は、ヒッチハイクでヨーロッパ中を放浪し、それにも懲りず、今度はトルコ経由でアジアまで仲間とクルマで行ってしまったわけであり・・・・。

 ま、私とM嬢の場合は、日本という島国に住んでいるゆえ、クルマを飛ばしても必ず、そこには限界があったゆえ、夫ほど遠くへいけなかっただけかもしれない。





 私も去り、愛犬マルチンも天国へ旅立ち、ブラックホールに落ちてしまったかのような感覚に苦しめられている母。果たして、私の滞在期間中に、そこから抜け出す糸口を、彼女が発見することができるのだろうか・・・・?。頭が痛い。


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