ゼロの視点
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2004年05月14日(金) 実家到着

昨日から引き続き、飛行機の中・・・・。呑んで、食って、映画見て、気がついたら激しく熟睡していた私。

 飛行機の後部座席の2席分を独り占めして、足を窓の所に引っ掛け、身体を伸ばしきって寝ているうちに、着陸前の“お食事の時間”。やることもないので、またコレをぺロリと平らげる。あとは着陸まで、搭乗時に貰っておいたフィガロ、ル・モンドそして週間文春を読みながら暇つぶし。

 日本にいた頃は、毎週、週間文春と週間新潮、そして毎月、噂の真相を読んでいたものだったが、今となっては活字で雑誌が埋め尽くされているとはいえ、記事の内容がどーでもいいことばかりで辟易。気がつけば、芸能人やアナウンサーの噂だの、社会的に切り込んだ記事らしいが、どこか国民を煽情するだけのような表面的な記事。どこにも記者なりの解決策などの提案はなし。つまらん。

 これって編集部のやらせ記事だな・・・、とかわかりきってしまって面白くない。フランスの雑誌、新聞だと、ものすごく頓珍漢なこともあるけれど、書いている人の息吹が生で感じられることが多い。

 ネットなどで日本のニュースをチェックする毎日だが、各新聞社の記事についても、似たり寄ったり。色々なことを書きたい記者というものがたくさんいるのだろうけれど、報道規制や、自主規制、おまけに、取材なしの外国通信社経由のまとめ記事が多く、非常に面白くない。

 そんなわけで、興味ある世界的な事件などがあると、日本語はもとより、フランス語、英語で、各社の新聞やネットを読み漁るクセがついてしまった・・・・(汗)。

 たかが三ヶ国語とはいえ、同じ事件に対して、まったく見解や意見が違うのが非常に面白いのだ。もうそれは信じられないほど違うこともしばしば。国民性の違いなどもひしひしと感じ、そこで改めて自分の母国である日本に対しても再認識できる、というわけだ。

 こんなことをやっていると、知らず知らずのうちに、同じ日本人とはいえ、日本に住んでいる日本人とは、自分が求めようが否かは別としても、だんだんと違ってきてしまうのかもしれない・・・・(汗)。

 どの国を贔屓にするか・・・・?、という問題でもない。

 たとえば、フランスどっぷりの我が姑殿と話していても、基本的には日本から出たことのない日本人(私の母を含む)のソレを全く同じであり、それはそれで彼らの意見。それを否定する権利などは、私には全くない。当たり前だ。

 それほど、視点を変えるということの難しさも感じる。また、視点を複数持ったところで、どうなるものでもないわけであり・・・・・。



 なんてことを暇つぶしに考えているところで、めでたく成田に着陸となった。11時間30分の空の旅も終わり。


 機内を出ると、むっとする湿気。ああ、日本に戻ってきた・・・、と意識より先に身体が反応する不思議。

 成田に到着すると、帰巣本能で実家に戻る手続きをし始める。自分でも笑える。ほとんど無意識状態での手続きともいえる。

 巨大なスーツケース(フランスに戻る際に、日本食をたくさん詰め込む予定にて)で帰国しているため、それを宅配業者にたのむ。代金1500円なり。次に成田エキスプレスにするか、リムジンバスに乗るかで一瞬悩み、双方の時刻表を吟味したあと、今回はリムジンバスを選んでみた。

 私の行き先の乗客はほとんどいなかったので(次のターミナルからはたくさん人は乗ってきたのだけれど・・・)、一番に並び、バスの最前席をゲット。1年ぶりの日本をバスの最前席の車窓から観光しながら実家に戻ろうとしていたものの、気がついたら熟睡。結局、成田から目的地まで、私の感覚だと10分くらいで終わってしまった。

あとは、またまた、ひたすら自分の帰巣本能に従って私鉄などに乗り、帰宅。ほとんどパブロフの犬状態。

 さあ、最近、かなり痴呆疑惑のある我が母親は、私の帰国日を本当にきちんと覚えているのだろうか?!?!?!。こんなふうに、実家の扉を開く前にちょっと緊張・・・。が、幸いなことに母は、さすがに自分の娘の帰国日は覚えていてくれた。ちょっと一安心。

 母には、適当に本日に家に到着すると伝えておいた。というのも、だいたい何時とか指定すると、それに合わせてそわそわする母が想像できたからだ。そして、その指定時刻からちょっとでも遅れると、事故にあったのではないか、飛行機は無事に到着してないのではないか?、等、彼女の“子供の不幸”に関する妄想はきりがない。

 そして、実際に私が実家に戻った瞬間、我が母からいきなり“心配したのよ”等といわれたら、私も逆ギレする可能性(いつまでたっても大人扱いされない悲喜劇っ)もあるゆえ、こうして適当なことを言っておいた・・・・、というわけだ。

 夕食もあえて用意しなくていい・・・、と母に伝えておいた私。実家に戻って、一息ついてから、実家のすぐ隣にあるファミレスにて母とディナー。ここ一年のパリでの写真や、昨年の12月に母がパリにやってきた時の写真などを一緒に見ながら、夜は深けていった・・・・・。


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