ゼロの視点
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2004年05月08日(土) 姑にとってのパリ

 夫と姑は、早朝からチャリティーバザーに出かけていった。私は、留守番。たった一人でのんびりと朝食を取る喜び。庭に朝食セットを運び、食後の一服。背後には、うるさい姑もいない。ああ、パラダイス。

 昼過ぎに、またまた大量に無駄買いした品物をひっさげた親子が戻ってきた。懲りない人たち、だ、まったく。

 さっそく彼らの戦利品の品評会がはじまる。これは普通に購入したらどんなに高いか・・・、等と得々と語る姑の顔は、不気味なほど活き活きとしている。



 姑の家で過ごしていて改めて思ったことだが、彼女の家に私達が“お邪魔”させてもらっている時は、たいした問題は起こらない。が、姑がパリにやってきた時が、やはり先月のような(ばばあシリーズ参照)になることが多々ある。

 彼女の自分のテリトリー、自分の家、自分のやりかた、などにわしらはあえて反抗しようとも思わないし、彼女のやりたいように仕切らせてあげている。だからこそそこに衝突もなく、彼女も気持ちよく生きている。わたしにとっては、口うるさいが憎いまではいかない、そんな姑で留まっていてくれるから、やりやすい。

 が、パリにやってくると、彼女はわしら、および夫の弟家族のやりかたすべてに口を挟んでくるから、みなに総スカンを食らうというわけだ。

 パリ・・・・、それは彼女の自己矛盾の源。カトリックで、ブルジョワで、レンヌではそこそこ自分のコミュニティーを築き、ご意見番のように生きている姑にとって、パリにはあまりにも多くの“自由”がある。それが、彼女を苛立たせ、不安にさせ、その矛先を自分の息子達およびその家族にぶつけてくる、といったところだ。

 さて、どんな自由が彼女を錯乱させるのか?、といえば、ゲイがあちこちで手をつないで歩き、結婚もしないで家庭を持つ男女、そして飽きたらすぐ別れて、別のパートナーを見つけようとする人たち、エシャンジスト、フランス人よりも多いように見えてしまうほど目立つ移民らの存在、素行の悪そうな青年ら、あちこちにピアスをしている若者、タバコをふかしまくる若い女性・・・・等など。

 こんなことが、彼女を非常にヒステリックにさせ、またそんな街パリに行ってしまって以来、決して地元のレンヌに帰ってこようとすらしない息子らに恨みをぶつけるわけだ。

 息子達が選んだ自由を憎む、自由じゃない生活に激しい執着を持つ姑。いまさら彼女は自分の生活は変えられない。が、心のどこかで姑こそあこがれていたのかもしれない。

 その点を低姿勢に自己分析などする人間だったら問題はないのだが、あくまでも自分のやり方がすべてという姿勢を崩さない姑が、パリにやってきて色々とわしらに再教育しようとするから、鬱陶しい。

 そんなわけで、先月は姑のことで怒り狂っていた私だったが、今回は姑のお膝元滞在だったゆえ、たいして問題も起こらず、快適に過ごすことができ、おまけに怒るという無駄なエネルギーを消耗することもなく、よかったよかった、という感じだった。



 夜7時過ぎのTGVにてパリに戻る。さて、フランスでののんびりした時間もこれから先は少しお預け。数日後に迫った里帰りの準備をしなければ・・・・・(汗)。


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