ゼロの視点
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2004年05月05日(水) サイクリング

 午前10時頃に起床。昨日から泊まらせてもらっているC&B夫妻とその子供達と一緒ににぎやかな朝食。

その後、彼らに自転車をかりて、近所を観光。といっても観光名所というものがあるわけではないが、Cのガイドで晴天の自然の中、健康的にサイクリング。

 Cがわしらに用意してくれた自転車のうち一台は、タイヤの空気が抜けているのを発見。なのですかさずそれを夫に渡し、私はタイヤ状態のよいモノを選ぶ。

 そんな自転車を渡されたとも知らず、一生懸命チャリを漕いでいる夫。“最近、ぼく運動不足なのかな・・・、けっこうサイクリングってツライよね”と涙目で私に訴えてくる(笑)。

 Cの案内で、聖人にはなれなかったものの、Quillyという村では有名だった聖職者が修行したといわれるゆかりの地へ。彼の名はJulian Chateau。一説によると、じゃがいもを人間用に食べられる食品として世にだしたとかいうことだったが・・・・・、本当か?!?!?。

 彼は、その生涯を閉じるまで厳しい修行をしていたらしい。畳一畳半の低い天井の中で、石のベッドに石の枕で寝起きをし、わざわざいばらの道のようなルートを使って、8キロほど離れた街を往復。もちろん裸足。

 そうして、煉獄を過ごし、キリスト教信者の間では、死後、彼は天国に行ったとされているが、あまりにも典型的なカトリック“マゾ物語”の主人公なので、不敵にもニヤリとしてしまう私達。“またか・・・・”という感じだ。

 彼のゆかりの地は小さな教会となっているのだが、その脇には、奇跡の泉がある。それはちいさなプールのようでもあったが、その中に女性が入ると不妊症が治り、子供を授かるというので今でも巡礼者が絶えないとのこと。興味津々でその水を眺めてみたが、どうも入る気はしなかったゼロだった。

 見渡す限りの緑の大地、あちこちにのんびりと生息している牛、そんな景観の中、再びのんびりと自転車を漕ぐ。自転車を漕いでいるうちに、わしらも実はパリの家に長いこと使ってない自転車があることを思い出す。

 今のアパルトマンに引っ越した際、ふと漏らした一言“自転車が欲しい”という言葉をさっそく聞きつけた姑が、どこかのチャリティーバザーで安値で購入した中古自転車を、さっそく送りつけてきた。私としては、“マイチャリ”を店先で吟味してから選びたかったのに、出足をくじかれた。

 が、ま、ないよりもマシということで、チャリが届いてからはよくパリの街中をサイクリングしていたこともあったのだ。夜ディナーに招待された時も、わざわざチャリで挑んでみたりと、今思うとよくやったな・・・・、ということばかり。

 が、ある日、盗難防止のために購入したすばらしく頑丈な鍵を自転車に設置。そしてその鍵の鍵をなくしてしまったため、今では自転車置き場に寂しく放置されて数年、というわけだ。ちなみにこの鍵がないと、チェーンソーでもない限り、頑丈なロックを壊すことができない。

 気候もよくなってきたことだし、久し振りにパリに戻ったら自分達の自転車をなんとか乗ることができるように、努力してみようか・・・、と牛を眺めながら夫と語り合った。

 牛の鳴き声のマネがウマイ夫に、ここでやってもらった。以前アイルランドを旅行中、ふとクルマを停めたところに数頭の牛がおり、そこで夫が牛の鳴き声の物まねを始めた所、夫がひと鳴きすると、牛4頭が一歩こちらに進んでくる、という事態になった。これを延々小一時間ほど続けた結果、何歩も進んできた4頭の牛は、最後にはわしらの目の前に迫ってきていたのだ。

 が、今回は、ここQuillyの牛にはそれほど相手にされなかった夫。なんだかちょっとがっかりしていたようだった。


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