ゼロの視点
DiaryINDEXpastwill


2004年03月11日(木) フランス西部旅行パート6

 私がはじめて夫の従妹Fに出会ったのは、レンヌで姑により開催されてしまった私たちの結婚披露宴の時。

 披露宴といっても、姑宅で開催されたのだが、私がいつものように姑の命令でウエディングドレスのままピアノを弾かされていると、ひとりのブルジョワーズ・ボエムな女性が興奮して私に近づいてきた。

 彼女は、昔音大でピアノを学んでおり、いろいろと音楽について矢継ぎ早に私に質問してきた。そして、一緒に連弾しようと提言してくる。誰だこいつ?、と思っていると、それが夫のいとこFだった。

 そして彼女と意気投合して、いつか時間があったらFの家に遊びに行って、一日中2人でピアノ弾いて楽しもうっ!!、と誓ったものだった。が、“いつか・・”という約束はなかなか果たされるものではない。ゆえに年月が経ってゆき、もうそんなことを忘れかけてきていた現在、とうとうこれが実現したのだった。

 Fは、毎週木曜日、アマチュアの音楽家を家に招いて、アンサンブルを楽しんでいる。そして、本日は木曜日。予定では、クラリネット奏者、ソプラノ、テノール、バリトン歌手などもやってきて、19世紀のフランス音楽を中心に、色々なアンサンブルが楽しめるとのこと。

 Fが朝食のあと、“ゼロは初見で結構いけるでしょ、だからちょっとこの楽譜を見ておいて”と山ほどの楽譜を私に渡してくる。ひえっ。一人で弾くのと、誰かと合わせるのは、違うんだよーーーーっ、と心の中で文句を言いながらも、サロンのグランドピアノで練習を始める私。

 ランチが済むと、メンバーがやってきた。医者でテノール歌手でもある30代のH、陸軍大佐夫人でソプラノ歌手の40代後半のD、定年退職暮らしを優雅に楽しむ元公務員でクラリネット奏者のR、25年愛するパートナーと暮らしパリとアンジェを行ったり来たりしている40代前半のL。

 Fがみんなにお茶の準備などをしている時、私はピアノの前にいた。そこにテノール歌手のHがやってきた。そしてとある楽譜を私に渡す。

H「ちょっと弾いてみて」

私「ちょっとですよ・・・」

と恐る恐る弾き出すと、Hが突然自分のパートを物凄い声量で歌い出し参加してくる。いきなり彼が参加してくるとは聞いてなかったので、ビックリ。それも私の耳元近くでの、彼の歌・・・・。私は驚いて、次のページ部分を弾いてしまったぐらいだった。

 こんな感じで、彼はどんどんと楽譜を私に渡してきて、ちょっと弾くや否やすぐに参加してくる。

 困った・・・・・。

 ちょっと楽譜を一人でさらう時間が欲しいのだが・・・・。

 どうやらHは、伴奏がはじまると反射的に歌い出してしまうらしい・・。




 2001年の初夏、夫の会社のとあるセクションで、社内コンサートが開催された。その時、社員でプライベートではテノール歌手として人生を謳歌しているDが音頭をとって、プーランクなどの音楽を演奏することになった。

 で、なぜか私が社員でもないのに、Dの伴奏をすることになった(←夫のさしがね)。この当時、私は姑にピアノをプレゼントされたばかり。長年ピアノを触ってなかったという“自信のなさ”と、プーランクの譜面が予想以上に難しかったことで、コンサート日が近づくにつれて緊張していった。

 おまけにコンサート数日前まで私は南仏にいたゆえ、まったく練習などもできず・・・・。

 コンサートは午前の部と午後の部の2回だった。当日の朝、妙な腹部痛みを感じながら、とりあえず午前の部は無事に終えた私。が、昼食をとろうとすると、どんどん腹が痛くなってくる。ヤバイ、ヤバイ、と思いながら、もう痛みは激しくなるばかり。気がつくと歩くのもやっと。

 それでも、別会場で開催される午後の部へ出陣するためにクルマに乗り込む私。車窓を楽しむ余裕などなく、すでに私は意識が飛び始めてきており、クルマを降り時には、その場に倒れこんでしまった。そして、そのまま病院に駆け込み、即入院。こうして午後の部はお流れになったのだ。

 白血球が異常に増加し、急性虫垂炎の疑いがあるので、状況次第ではあさってぐらいには手術になるかもしれないと告げられ、私以上に異様に動揺する夫。このまま私の入院が続くと、夫が別の病室で横たわってるんじゃ?、と思った。

 が、実は私は虫垂炎でもなんでもなかった。ただの、ストレス、それもコンサートにビビッて、腹痛を大げさに起こしただけだったことが翌日発覚。自分ながら、まるで翌日のテストを嫌がる小学生のようだ・・・、と感動したものだった。




 ということで、私にはこういった前科があるゆえ、本日もどうなるか?、と思っていたが、以前よりはへタレでなくなった自分を発見。ま、それだけ図々しくなったということか?。

 テノールのHとソプラノDのオペレッタは、本当に素晴らしかった。彼らは実際にあちこちのテアトルで演じているだけあって、質、見せ場への持っていき方、すべてにおいて、ほとんどプロで、それをこうした個人宅で鑑賞できる贅沢さに、激しく感動。

 また、彼らのアクションに、私がピアノで参加できる嬉しさというのも、実感することができた。ある意味、この日、私は“執着をすてる”ことができたのかもしれない。ピアノを弾かなくてはならないという義務感が、ピアノを弾きたいという希望に変わった瞬間だったかもしれない。

 ゲイのLは、最近音楽に目覚めたばかり。今さら楽器は覚えられないので、最愛のパートナーの薦めで“歌うこと”を選択。ようやく簡単な楽譜が読めるようになった彼は、彼なりに一生懸命歌う。彼が得意としているヘンデルは、Fは伴奏しにくいというので、バッハ等の音楽が好きな私が彼の伴奏をする。

 伴奏をはじめると、Lが素っ頓狂な声で歌い出す。一瞬、激しく笑いそうになったが、これはいかんと思い、真面目な振りして伴奏を続ける。おまけに、彼のリズムの数え方があまりにも素人で、伴奏が非常に難しかったが、彼の熱意に打たれていくうちに、どんどん息が合ってきた。すると、彼の声もどんどんよくなってくる。



 本当に不思議なものだ。



 今まで、一人遊びの一貫としてピアノを弾いてきた私だったが、誰かと共に演奏すること、つまりは喜びを共有することの意味を知ったような気がした。それがプロレベルである必要などない。今、そこで、誰かと何かを創り出せること、これが、人生をより豊かにするものなのだ・・・・、と。

 映画『le Goût des Autres(邦題ムッシュ・カステラの恋/1999年・仏/Agnès JAOUI監督)』での印象深いシーンを思い出す。主人公のひとりが単調なフルートの演奏をいつも繰り返している。それがラストシーンでは、他者とのアンサンブルで、この単調なフルートが活き活きとした音楽に大変身するシーンだ。

 この日、午後2時から夜中の12時まで、何曲演奏したか数え切れないほど楽しんだ。ピアノは私とFがかわるがわる演奏。幼少時、両親につれられてオペレッタを腐るほど鑑賞してきた夫は、『失われた時を求めて』ではないが、当時のことがたくさん蘇ってきて、彼なりに激しく感動していたようだった。


Zero |BBSHomePage

My追加