ゼロの視点
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2004年03月08日(月) フランス西部旅行パート3

 本日は、予定なら旅に出られる日。希望は昼過ぎ出発だが、どうなるんだろうか・・・・・?!?!?!。


 案の定、ダラダラしてしまったので、出発することはできたが、それは午後5時だった。



 久々のクルマでの旅行は気楽でいい。バックに入りきれなかったものも、適当にトランクにぶち込むだけだし、慌てて駅に全力疾走で駆け込むストレスもない。自分達のペースでいられる自由さ。


本日の目的地は、Vendée県Boiméというところにある、夫の友人がやっている宿(日本語でいえばペンションみたいなところ)。ここに本日と明日の2泊する予定だ。

 レンヌからアンジェまでは高速道路を利用したので、まったく景観的が面白くなく、途中でイライラしてきたので、勝手に路線変更。夫が気付く前に、どんどんとのどかな田舎道へ我がクルマを誘導していった。

 が、残念なことに、日没。真っ暗な田舎道を、車内で懐中電灯つけて地図を見る作業に、妙な快感を見出す私。もしかしたら迷うかもしれない、と思うと、ワクワクしてくる。

 実は私、道に迷うことができない。というとちょっと変だが、方向音痴じゃないのだ。恐らく30年前に一度だけ訪れた場所も、ふとそこにあらためて行ったら、迷わずに道を選ぶことが出来るという変な習性がある。

 大学生の頃、ちょっと変わったバイトをしてみようと思って、ルート配送運転手をしたことがあったが、この時も30ルートをあっという間に覚えてしまい、同僚を驚かせたことがあった。そんな時、母親に、もっと違うことで人を驚かせたらいいのにね、と皮肉を言われたことを今でも覚えている。

 ま、こんな性質ゆえ、“迷うかもしれない”という感覚がスリリングで好きなのだ。

 逆に、夫のほうは、迷うかもしれない、というスリルがそのままストレスになる可能性があるので、必然的に私の“ひとり遊び”となる。

 突然夫が

夫「ねえねえゼロ、出発する前にざっとボクは地図を見たんだけれど、その感じだと、こんなに小さな田舎道を走る必要がなかったような気がするんだけれど、どうなんだろ?!?!?!」

私「(あ、やべ、さすがに夫が気付きだしたと思いながら)、あ、そう?」

夫「僕たち、道に迷ってるのかな?。」

私「平気だよ、気のせいだよ、絶対!!」


と、こんな会話を交わす私たち。せっかくのクルマでの旅行、久しぶりにこういうことがしたかったのよーーーー、とはあくまでも言わず。暗闇の中を、ひたすら旅人として日本中を旅した頃のことが蘇ってきて、嬉しくてしょうがない私ゆえ、そんなに簡単に目的地には到着したくないのだ。


 そうして、ようやく夫の友人P宅に到着。彼のことは夫から話に聞いていただけであり、今晩が初対面。想像以上に面白い人で、また料理も美味く、すでに姑宅で食べ過ぎて今晩からダイエットしようと思っていたわしらだったが、思わず全部平らげてしまった。

 Pは、昔、神父だった。が、突然ひとりの女性に恋してしまい、彼女を取るか、それとも聖職者の道を取るかで迷った挙句、最終的にこの女性を選んだ。その後2人の息子も誕生し、彼の人生は喜びと愛に満ち溢れたものだった。が、彼が51歳になったとき、当時39歳だった妻が癌になってしまった。発見されたときには、すでに手遅れ。結局彼の妻は、癌発見の2ヵ月後に亡くなってしまったのだ・・・・。

 Pは、妻の癌発覚の直前、自分が年上であることをあらためて考慮して生命保険の契約条件を変更したばかり。皮肉にもそれは、“Pが死んだ時のことを考えて”という条件だった。が、現実は反対だった・・・・。

 そんな彼は現在66歳。無事2人の息子も育て上げ、パリの自宅とここでの生活で、あちこちを動き回っている非常に精力的な男性だ。


 ディナーの最中に、あ、彼が非常に寛容な人間だとピンと来たので、キリスト教の矛盾についてなど、どんどん質問させてもらった。彼も待ってましたとばかりに、色々と真摯に答えてくれて、充実した会話を得られることができた。

 例えば、『なぜ、ニーチェは神の死を、あそこまでして宣言せねばならなかったのか?』あるいは、『なぜ、サドは神を侮辱しないではいられなかったのか?』など。

 そこまで神を意識しないではいられない宗教観というもの自体に非常に興味があるゼロでした。


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