ゼロの視点
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2004年02月22日(日) トルコ旅行パート7

 昨日の時点で、ガイドが推奨する“カモツアー”を辞退するとしていたのが5人。それが朝食の時間の間に、かなりの人が意見を翻しはじめ、結果、32人中、たった13人のみが参加することになった。

 5人が欠けるくらいならたいしたことない・・・、とタカをくくっていい気分で起きてきたガイドは、直前になっての辞退者の続出に、顔色が真っ青になっていた。

 ところで、昨日、このホテルに到着して以来、私たちは支配人代理の青年Iとお友達になっていった。英語を流暢に話し、実にいい人。彼は、ガイドが出発するのを見送ってから、私たちにアンタリアの楽しみ方を色々と教えてくれた。

 ガイド、ホテル、旅行会社、商人が一体となったトルコ旅行業界ゆえ、たかが支配人代理の青年が、カモであることを辞めて、自由を取りたい旅行者を応援することは、ある意味リスクがある。ゆえに、彼はガイドの出発を待ってから、私たちに近づいてきたのだ。地元のバスの乗り方など、本当に懇切丁寧に教えてくれた。

 その後、目の前の海岸線沿いをわしら夫婦、M、そしてA&Lカップルの5人でのんびりと散歩。

 昨日の時点で、冬のアンタリアで“カモツアー”に参加しなかったら、雨でも降ったには何もすることがない、と断言して、何も見所すら教えてくれなかったガイドだったが、そんな彼をあざ笑うかのような見事な晴天。

 遠くに、水しぶきのようなものが見えたので、それにつられるようにして進んでいくと、なんとも見事な滝だった。そして、そこにはたくさんの観光バスが停まっており、かなり有名な観光名所であることも同時に知った。

 もちろん、その瞬間、5人で“あのガイドのやろう、何も言わなかった世ナ、この滝のこと”と言って、大爆笑になった。さっそく、この滝の絵葉書を購入して、あとでガイドに見せてやるっ、と夫は言い放った。

 ここまで、ガイドのことを色々書いてきたが、何よりも私たちが嬉しかったのは、“自由を獲得した”ということであった。本日だけは、ゆっくりと自分達のしたいようにできる、ということ。あと何分とせかされることなく、美しい景観に足をとめ、呼吸し、感じる・・・・。たったこれだけのことが、思う存分できることの嬉しさよ・・・・。

 ランチはホテルに戻って、居残り組で盛り上がる。すっかり嫌なガイドのおかげで、私たちは妙に皆で仲良くなってしまった。旅の初めは、妙な気詰まりがあった私たちだったが、今じゃ、昔からの友人のよう話に花が咲く。これも明日でオシマイか・・・・、と思うと、寂しいぐらいだ。

 午後は、午前中のメンバーと一緒に市内に出かけるはずだったが、ランチ後荷物を取りに一度部屋に戻り、ふと気が緩んでベッドに身体を伸ばしたのがまずかった。それっきり、2人で午後3時半まで爆睡してしまった・・・・。

 すでに仲間は旅立った後。午後4時頃から、2人で乗合バスに飛び乗り、ブラブラと市内観光をはじめた。バスでの金の払い方が面白かった。乗客はとりあえずバスに乗ったら、自分の好きなところに座る。そして、その場所から自分に一番近い人に、紙幣を渡す。そしてその人がまた近い人に紙幣を渡し、最後に運転手の隣にある、料金箱に収まるのだ。

 運転手がおつりを返すシステムも同じ。運転手は後ろも振り替えず、紙幣を握った手を適当に差し出す。それを誰かが取り、また別人にリレーしていき、ちゃんと“お釣りをもらうべき人”のところに紙幣が到着するのだ。

 こんな風に紙幣がまわってきたら、思わず自分のポケットに入れる人がいるんじゃないか?、と思ったが、きっとそんなこともなくうまく機能しているのだろう。いいことだ。

 地元民のために開催される日曜日のバザールというのを覗いてみた。野菜や日用品などが中心で、特別自分が購入したいというものはなかったが、アンタリア市民の生活が垣間見られたようで、なかなか楽しかった。誰も、私たちに無理やり売りつけようともせず、実に気楽にブラブラできた。

 どのくらい歩いたのだろうか・・・。もうすっかり待ちは暗い。時計を見ると、午後8時。そろそろホテルに戻って夕食の時間だ。地図も持たずに思うままに歩き回った私たち。バス停で、ホテルに戻りそうなバスをひたすら待つ。が、全然来ない。

 来るバス、来るバスに乗り込んでは、運転手にホテルのアドレスを見せる。しかし、トルコ人は、“NO”という時アタマを“YES”のように縦に振るので、それを知っていても、その場その場でアタマが混乱する。で、そのたびに親切な外国語が話せるトルコ人が出てきてくれて、私たちに色々と説明してくれる。本当に親切なのだ。

 バス停でも、色々な人が、助けになってあげようとしてくれる。だからといって、親切を押し付けても来ない。トルコ人は、本当に感じがいいと思った。いい加減待ちくたびれて、どこか違うバス停まで歩こうか否か迷っている時に、子連れのトルコ人がバス停にやってきた。

 彼は、英語を操った。またバスの路線にも詳しく、私たちの乗りたい25番のバスは、確実にここにくるから安心しなさいと勇気づけてくれた。それと同時に、もしもっと早く目的地にたどり着きたいのなら、町を流している小型乗合バスを拾ったほうがいいとも的確にアドバイス。そのためには、このバス停から5分ほど歩いた、大通りに出る必要があるとのこと。

 夫と2人で“じゃ、そうしよう”ということで、彼にお礼を行って、バス停を離れて歩き出した。3分ほど歩いた所で、バスと思われるクラクションが何度もなった。音につられて振り向くと、さっきの男性がバスの中で、こっちに来いと手を振っている。

 バスの番号を見ると、25番。これぞ、私たちが待ちに待ったバスだった。彼は、私たちの事情を運転手に説明して、私たちのためにバスを停めてくれたのだった。そして、私たちはバスに乗り込み、彼にあらためて例を言った。そして、彼はしばらくするとバスを降りていった。

 次は、どこで降りるか・・・、だ。だいたいこの辺じゃないか?、と思ったところで、バスは突然停まった。窓からあらためて外を見ると、私たちのホテルのまん前。なんと、さっき降りていった男性が、すべてを運転手に話しておいてくれたことが判明。

 ガイドの言うように、タクシーで無駄遣いもせず、地元の人に助けられ、まるでタクシーのようにホテルのまん前まで送り届けてくれるバス。ああ、本当に自由を選択してよかった、と思った瞬間だった。

 夕食後は、有志の仲間と連れ立って、昨晩のバーへ。総勢20名だった。さすがに連日の観光で疲れ果てていたので、午前1時には、全員が退散した。

 

 ちなみに、最後の晩餐にはガイドは姿を現さなかった・・・・・。

 


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