ゼロの視点
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2004年02月21日(土) トルコ旅行パート6

 本日は、カッパドキアからただひたすらアナトリアに大移動の日。朝7時半にホテルをチェックアウトして、バスに乗り込む。

 昨日とは打って変わって、大雪。昨日の晩に同じホテルに本日カッパドキアを観光するために、難行苦行で外国からやってきた観光客は泣いていることだろう・・・・。視界がほとんどなく、延々と雪が降りつづける光景。こんな気候で、景観もなにも堪能はできん。

 あらためて、私たちがどんなに恵まれていたかを知る。


 突然の大雪で、わしらのバスが立ち往生。一時はどうなるか?、と思ったが、お約束の宝石店に放り込まれている間に、運転手は色々と対策を練ったらしく、なんとかなった。

 絨毯屋とは違って、桁が安いところからはじまる宝石店。プラス、女性が多かったこともあり、ケチなフランス人でもそれなりに大勢がアクセサリーを、ここで購入した。私もしかり。70ユーロ(←相変わらす激安攻撃)で色のついた小さな石が散りばめられた指輪を夫にねだって買ってもらう。

 指輪をプレゼントしてあげるから、タバコを止める日を今決めろ、と迫る夫。それに対して、タバコを止めさせたいなら、70ユーロといわず、本モノのダイヤモンドを買えと迫る私。

 
 ドライブインのようなレストランでランチの後は、またひたすら移動。ガイドがマイクを持って、色々とトルコの話などをするが、未だに今後の予定など詳しく話さないのが、だんだんと皆の不満につながってきた。

 また、さんざんの長距離バス旅行での疲れもあり、かなりの人間がブーブーと不満をそれぞれの中でマグマのように増大させており、それが噴火するのはそれほど長くないのは予想できた。

 そして、ガイドが翌日の予定について話し始めた。なんと、明日はアンタリアで自由行動だという。しかし、そんなことはあらかじめもらっていた予定表には書いてない。

 そして、ガイド曰く、今までアンタリアの自由行動では、多くの観光客がタクシーを使ったりして、予想以上の出費をしている。だから、旅行会社からのサービスとして、午前中は皮革店めぐり、そしてランチはトルコ自慢のケバブを食べて、午後は大型のショッピングセンターに連れて行って上げましょう、という提案をしてきた。

 一瞬聞こえはいいが、また店に連れられていくだけゆえ、私個人的にはこれを辞退して、自由行動を楽しもうと思った。そして、気になるのが、今晩のホテルの場所。ホテルの場所を尋ねると、今回は海岸沿いで、歩いて簡単には街中には出られない位置と判明。

 それが判明するや否や、ブーブーと不満が出る。ガイドとしては、一人でも多くこのツアーに客を参加させ、いかに店に連れて行くか?、がネライであり、それを実行するためには、まずホテルは街から遠く、その付箋として、ケチなフランス人向けに、自由行動すると“高くつきますよ・・・”と説明してきたわけだ。

 さあ・・・・、だんだんと雰囲気が険悪になってきた・・・・。

 不平不満を言わせたら世界一のフランス人公務員 VS やり手のトルコ人ガイド。しかし、トルコ人ガイドもいささか馬鹿だった。フランス人の不満に対して、逆ギレしたのだ。これは商人としては、作戦的に大失敗だ。

ガイド「格安を利用してトルコを旅行したいのはわかる。だけれど、こっちがバスも、運転手も昼飯もつけたうえに、ガイドまでつけて明日一日、何も知らない君たちを案内してあげる、って言ってやってるのに、あーだ、こーだというのは、みっともなさすぎる、馬鹿だっ!!」

とガイドは物凄い口調で言い放った。そしてこれが、開戦の火蓋を切った。宣戦布告されたフランス人らも、あちこちから叫び出す。とうとう、バスの中でフランス革命が始まってしまった・・・・・。バスチーユを落とす代わりに、ガイドを落とす気か?。

 不満という感情に基づいての、フランス人の団結観は本当にスゴイ。人の考えの数だけ、同じ数のマニフェスタシオンがあるとも思えるフランスだが、実のその通りであって、今回も基本的には一緒。2002年のアンチ・ル・ペンのマニフには、パリ解放時以上に人間が街に出てきたが、こういう小さな革命でも、その根底が面白いほど伺える。

 さんざん、フランス人らがガイドの言い分を突っつきまくった挙句、とうとうガイドは自分の利益について語り出した。

ガイド「もし明日、このツアーに誰も参加しなかったら、自分のガイドとしての評判が一挙に落ちてしまう。」

フランス人側「だからどーした」

ガイド「でも、こんなにいいアイデアに乗らない君らは馬鹿だ」


 私はトルコ人のことについてはよく知らないので、一般化できないが、とにかくこのガイドも非常に不器用だと思った。個人のプライドが高すぎる。日本人商人のように、ある意味“ごもっとも”という態度を客にとってもいいのじゃないか?、と思ったほど。一歩譲れば、相手の態度も不思議に軟化するもの。しかし、これが彼には全くできない。もし、本当に、一人でも多くの客を店に連れて行きたいのなら、他に色々と方法があるはずだ。

 個人的には、この“バスの中でのフランス革命”は非常に面白かった。どーでもいいや、と思いつつ、面白いので、フランス人側を色々煽動してみる。彼らの不満にどんどん火をつけて煽っていたのは、私です・・・。

 最後に、ガイドが“明日のツアーに参加しない人は手をあげて”という問いに対して、間髪いれずに手を挙げたのは、私たちがいた後部座席部分の5人。他の人らは、さんざん文句言った割にはまだ結論は出さず・・・、という雰囲気だった。

 思ったほど、明日のツアーを拒否する人がいないと思ったガイドは、途端に機嫌がよくなっていった。


 さて、明日は自由。決められた時間に起きる必要はない。わしら夫婦とMは、夕食後、近所の地元民が集う音楽バーへ出かけ、午前2時過ぎまで、踊って、飲んで、歌って、楽しんだ。一昨日に30ユーロも出して参加した、ディナーショーなど問題にならないほど楽しかった。

 地元民たちとは、残念ながら言語を通してのコミュニケーションは取ることは難しかったが、私たちが踊ると、むこうがむこうのやり方で踊り返してくるというのを延々と繰り返し、最後は、みなで輪になって踊りつづけた。

 そして、一人の若いキレイなトルコ人女性が、突然アカペラで、物悲しげなメロディーの伝統曲を歌い始めた。それは、本当に魔法のようで、うっとりと聞き惚れてしまったゼロでした。


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