ゼロの視点
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2004年02月20日(金) トルコ旅行パート5

 どうやら、極端に厚着して寝たのがよかったらしく、すっかり体調がよくなった私。おまけに、外は寒いが、晴天っ!!。本日は、一日中カッパドキアで過ごす日(いわゆる、メイン)だけあって、もし天候が悪かったら最悪だ。

 朝8時にホテルを出発して、一番景観のいいところでバスを停める。そしてあたえられた1時間半の時間、大自然の中を歩き回った。今までバスに閉じ込められ、鬱屈していたものをすべて発散できたような気がする。

 この旅行中にすっかり意気投合したM(♀・28歳)は、岩や山、もしくは谷などを見ると、一度はそこへ駆け上ったり、駆け下りたりしないと気がすまない性格。そんな彼女は、一番にバスを飛び降り、私たちが丘の中腹に達した時点で、彼女はすでに頂上を目指そうとしていた。

 そんな彼女に挑発されるように、私と夫、そしてもうひとりのC(♀・30歳)は、どんどんと彼女のように頂上を目指し始めた。道無き道を進む爽快感。一瞬、このまま登っていったら、あとはどうやって下るのだろう?!?!?!、と現実的な問題がよぎったが、とにかくあまりの晴天に、どこまでも、どこまでも、上へ行きたいという欲望に抗えなかった。

 私は喫煙者だが、奇妙なことに、簡単なトレッキング程度だと全然息切れしない。いつのまにか最小限のエネルギーで登るコツを得たようで、Mほどではないにしても、斜面をみると、よじ登りたくなる。

 日本ではクルマ中心の生活をしていた私だが、パリに住み始めて以来、クルマを持たない生活となり、よけい足腰が鍛えられたのかもしれない。また、古いアパルトマンなどでは、未だにエレベーターなどがないこともあるし、気がつけば階段の上り下りはしょっちゅうしている。そんなわけで、昔から比べると、健康的な私というのを再発見(笑)。



 高いところに上り詰め、カッパドキアの奇妙な景観を眺めることの素晴らしさといったら・・・。



 ずうっと、ここに留まっていたかったが、時間切れ。再び道無き斜面を下り始める。後でつくづく思ったことだが、もしこれが個人旅行だったら、きっとここまで登らなかっただろう、ということ。仲間がいるから強気になれる、ということだ。一瞬、道を間違えて、行き止まりの岩に行き着いたときも、下にいたグループのメンバーが誘導してくれたり、万が一事故っても、即座に対応してもらえる安心感というものは、決して馬鹿にできないと思った。

 
 お次は、地下都市。数ある地下都市の中から、一番しょぼいところだけしか観光できなかった私たちだったが、なかなか面白かった。実によく考えられて作られたのがよくわかる。しかし、本当に小さくて狭い回廊は、ワシにはちとツライ。メンバーの中で、145cmというフランス人女性がいたが、彼女は『今回は、小さく生まれてきて本当によかったと思ったわ』と皆を笑わせた。

 
 ホテルに一度戻り、ランチを取った後は、再びカッパドキア地方の奇観巡り。午前中の晴天とは打って変わり、雲で覆われ始めた空と、吹き付ける寒風には参ったが、背中に数枚貼り付けておいたホッカイロのおかげで、持ちこたえることができた。

 このホッカイロ、実は、以前日本から友人がパリに来た際に、我が家において行ったモノ。今まで一度もパリでの生活では必要としなかったので、そのまま大量に我が家に残っていたのを、今回の旅行に持ってきたのだ。

 そして、このような非常に便利な商品を知らない夫を含む、フランス人らは驚異の性能を自分の背中で感じ、“日本人は信じられない”と口々に言っていた(笑)。

 ギョレメの町での、自由時間はなんと、たったの20分。これがあとでフランス人らの不満を引き起こす発端となる。それに対して、洞窟の家に住んでいる女性の家を訪れるというプランは、1時間。確かに、変わった家を訪問できる機会は嬉しいが、彼女は同時に商人であり、その家に一度足を踏み入れると、彼女が作ったという、毛糸の帽子や、マフラー、靴下などを売りつけられる仕組みになっている。

 最初は、愛想よくチャイなどを全員に振舞ってくれるが、飲んだら最後、何か買わないと出にくい雰囲気作りを彼女がする。おそらく、これが日本人グループだったりすると、どうせあとで使わないと思っても、誰彼ともなく犠牲となって金を払ったりするのだろうが、フランス人はさんざん買うようなフリをして、なんとか彼女の家を脱出しようと必死だった(笑)。

 私は、“ちょっと外でタバコを吸ってきます”というのを理由に、さっさとドロン。夫もこの時ばかりは、嫌煙者としてモラルを解く立場を捨て、喫煙者のフリをして、私と一緒に脱出。

 あとで聞いた話によると、奥の彼女の部屋には、最新式の大きな薄型液晶テレビが置かれていたのを、誰かが発見したのこと。もうけてますな、彼女。

 その後は、旅行会社と組んでいる絨毯屋に連れて行かれる。ギョレメの町観光が20分だったのに対して、ここでの予定滞在時間はなんと2時間半。はじめっから絨毯など買う気もない人間にとっては、地獄のような設定。

 ガイド曰く、今から数年前にすごい経済危機が起こり、そのために物価が急激に上昇、国自体が機能するか否かの瀬戸際に追い込まれたという。そして、その景気回復政策の一環として、観光業に政府事体がたくさんの援助金を使って、外貨を取り入れることに成功して、なんとか現在立ち直りつつあるという説明だった。

 確かに、トルコのいたるところに見られる、建築途中で放棄された建物などが、それを無言のうちに物語っている。そして、政府は、なるべく安く外国人にトルコへやってきてもらえるように、旅行会社を援助して、絨毯やや宝石やなどもそのスポンサーとして旅行会社に金を払う結果、1週間のトルコ旅行3食付激安ツアーというものができあがる、というわけだ。

 そんなわけで、幸か不幸か、激安につられてトルコにやってきた私たちのような外国人は、美しい観光地を足早に見るだけで、あとは延々とみやげ物めぐりをしなくてはならない義務を負う。

 ところが、今回は学校が休みで、そのバカンスシーズンを楽しもうとしてやってきたメンバーの大半がフランス人の教師連中(小学校から高校まで)であり、典型的なゴーシュ・ファンクショネール(左派の公務員体質)ゆえ、そこに大きな歪みを生じさせた。

 典型的なフランス公務員は、長年のミッテラン政権などが取りつづけた、公務員優遇体勢に慣れきっており、あらゆる利益に対して、つねに“当然”という態度をとり、なおかつそれ以上の優遇を求める体質ともいえる。言葉を変えれば、“永遠の不満体質”ともいえる。

 ゆえに、競争があたりまえの資本主義からは程遠く、安い買い物をしたならば、それなりのリスクという考え方をして、あきらめるのではなく、安かろうがなんだろうが、それ以上の利益を当然として求めるのが彼ら。

 というわけで、この絨毯屋での2時間半が、翌日の大議論の付箋となっていった・・・・・・。

 そして、夕食はオプションとして、30ユーロを追加するとディナーショーでトルコの民族舞踊が見られるとのこと。普段ケチなフランス人らも、今回ばかりは32人中、6人が行かなかっただけ、となった。ディナーショーでは、アルコール飲み放題、というのもうまくフランス人を釣ったのかもしれない。

 私は、ディナーショーなどどうでもよかったのだが、なんと言ってもメヴラーナ教団の例の廻旋ダンスが見られると知って、参加を決意。ところが、実際は、この踊りを真似をしたただのダンサーだった・・・・。

 同じようなモチベーションでやってきた仲間の一人は、ダンサーと教団のメンバーの顔が同じだったことまで裏を取り、完全に怒りモード。おまけに、飲み放題と言われていた赤ワインの質が非常に悪く、ディナーショーが終わる頃には、みんな頭痛を訴え始めていた。

 とはいえ、それなりに雰囲気は楽しく、ほぼすべてのショーを見終わると、舞台がそのままディスコになり、観光客が踊りたいだけ踊ることができるような粋な仕掛けになっていたおかげで、今までブーブーと不満を言っていたフランス人が楽しそうに踊り出した。

 ショーが終わったのが、11時。そしてやっと気分よく踊り出して盛り上がり始めたのが11時半。すると、無残にも経営者は、音楽を止めた。時間切れ、閉店・・・・、というわけだ。これが、スタートが遅く、いつまでも、いつまでも、楽しんでいたいフランス人をまたまた、怒らせる結果となった。



 さて、明日はカッパドキアから一挙にアンタリアに戻る日。それに対して、いつまでも説明をしようとしないガイド。一体私たちはどうなるのか?!?!?!?!。


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