ゼロの視点
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2004年02月19日(木) トルコ旅行パート4

 本日は、パムッカレからコンヤを経由して、カッパドキアまでの、およそ700キロの大移動日。ほとんどの時間をバスの中で過ごすと予想される。

 2時間置きにトイレ休憩と称して、サービスエリアに止まるだけ。そして、ひたすら、移動、移動、移動・・・・・・。同行フランス人らの顔が、どんどん笑顔が消えていく。

 ランチは、コンヤにて。バス5台分の観光客が一斉にバイキング形式のランチとなった。さすがに日本社会で育った私は、バスが駐車場に入る時点で、競争率の高さにピンときて、一番にバスから飛び降り、皿を手に取り、さっさと列に並ぶ。そんな私にけしかけられるように、並ばされた夫は、あとになって私の行動の敏速さに感謝することになる。

 のんびりとバスから降りてきた他のフランス人観光客らは、その後最低20分ほど皿を持ったまま、自分の番を待たなくてはならなかったからだ。そんな彼らを横目に、さっそくメシにありつける幸せ・・・・・。

 ランチの後は、私にとっての一番のメインである、メヴラーナ博物館へ。でも、悲しいことに、ここでの観光時間はたったの30分。ガイドが的確に説明してくれたことは、不幸中の幸いだった。

 ひと時の放牧を許された羊が、また背後から牧羊犬に尻を追われるように、バスに戻らされる悲しさ・・・・。再び2時間ほどバスに揺られて、今度は30分でキャラバンサライ。

 ガイドの話を聞いている間だけでも、ガタガタくる寒さだった。しかし、日没寸前の太陽があまりにもきれいで、思わず塔のてっぺんまで登ってしまい、そこで完全に日が沈むのを見届ける。これがいけなかったのか・・・・、あとになって、どんどん悪寒がするようになった。

 キャラバンサライ前の土産屋に飛び込むと、そこにはかわいいトルコ人女性の売り子がいた。彼女は英語を話すのがわかったので、夫がさっそく彼女と話し始める。その隣で、ボーっと聞いていた私だが、話の流れで彼女が今日本語を勉強中だと知っ私は、突然目が覚めたように、彼女に日本語で話し掛けてみた。

 すると、彼女はビックリ。どうも彼女は私のことを日本人だと思っていなかったようだ。これも噂には聞いていたが、本当に観光客相手のトルコ人商人は、日本語の勉強に熱心だということをあらためて認識。

 簡単な挨拶、お世辞などはホイホイと口から出せる彼ら。が、面白いことに、“どのくらい”という表現が彼らは全然わからない。

トルコ人商人「私は日本語を勉強しています」

私「日本語お上手ですね。で、どのくらいの期間、勉強しているのですか?。」

トルコ人商人「日本語難しいです」

と、ちょっとズレた答え方をしてくるのが9割方だった。それでも、どのくらい、どんな方法で日本語を勉強したのか?、というのが知りたい私は、ここで譲らない。時には英語で“How long”と付け足して、なんとか相手に質問の意図をわからせようとする。

 旅行中、一番多かった答えは、“数ヶ月”というもの。なるほど。ガイドからも聞いたが、とにかく観光業で稼ぐトルコ人の間では、日本語の習得がものすごい人気だとのこと。おまけに、映画『ラスト・サムライ』等の影響もあって、イスタンブールでは、日本語教師の数が足りないらしい。これが嘘か誠かは知らないが、実際に、何人にも“自称・日本語勉強中”であるトルコ人に出会うと、なるほど・・・・、と言わずにいられない。

 ただ、私の場合、フランス人グループと一緒に来ていてるので、あまりにもつたない日本語を相手が話してくると、面倒くさくなってしまって、気がつくとフランス語で話してしまっていることが多かった。
 
 特定のガイドもグルになっている店では、フランス人観光客向けに、フランス語を流暢に話すトルコ人を厳選して待機している。そんなわけで、いくら相手が日本語を勉強中といっても、かれらのソレと比較すると、はるかにフランス語能力のほうが高いので、楽なのだ。

 そして、フランス語を媒体として、彼らのつたない日本語を少し矯正してあげて、それを恩にきせて、“だから、コーヒーおごって”とか、やっていた私だった・・・。


 キャラバンサライでの寒さがいけなかったのか、どうやらすっかり微熱が出てきた私。ゾクゾクして、アタマがボーっとしてきた。カッパドキアは遠い・・・・。何枚もセーターを重ね着したものの、ヤバイぞ、これは・・・・。

 ようやくカッパドキアのホテルに到着したのが夜の8時半。夕食も早々に済ませ、アスピリンをたくさん飲んで、寝てしまった。

 


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