ゼロの視点
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2004年02月17日(火) トルコ旅行パート2

 昨夜のこともあり、浅い眠りのまま、起床時間を迎える。朝食をとるために食堂へ足を運ぶが、どうやら昨日のことを知っている観光客は、私たちだけのようだった。

 恐らく、ホテル到着もすでに遅かったし、わしら以外の観光客は、外へ出かけもせずさっさと寝てしまったようで、皆すっきりとした顔で朝食を取っているのが印象に残る。

 食堂で、昨日のガイドとすれ違ったので、さっそくその後を尋ねてみた。彼はあの後、死体安置所まで行き、そのあと家族と話したりしているうちに、すでに午前5時過ぎになってしまったらしい。そんなわけで、疲れきっていた。とはいえ、本日からの観光の運転手はちゃんと手配できたようで、スケジュール変更はないとのこと。

 ここでふと思った。この事件を知っているのは私たちだけ。旅行会社としては、このことを客に情報開示するのだろうか?。それとも何事もなかったように事を進めていくのか?。いずれにせよ、どうやって彼らが動くのか、個人的に興味を持ったので、とりあえず相手側の出方をみてみようと思った。

 定刻通り出発したバスは、私たちをアンタリア市内の観光地へ運ぶ。あいにくの小雨の中、港町を散策。ここの外国観光客の大半を占めるのがドイツ人だけあって、ほとんどのトルコ人商人は流暢にドイツ語を話す。英語の普及率は以外に低い。ゆえに、フランス人で英語も満足に話せない観光客は、すでに値段交渉に四苦八苦している模様。

 その後、市内を離れて、とある自然公園へ。雨が降り注ぐ公園での自然鑑賞はなかなか乙なもの(涙)。これが滝です、と言われても、すでに滝に打たれながら観光しているようなものなのだから・・・・。

 ランチは公園近くの、団体観光客専用ともいえるレストランにて。まだツアーのはじめだけあって、みな適当に隣り合わせた人とは話すものの、なんかぎこちない会話が続く。我が夫でさへ妙にぎこちないのが、少し笑えた。

 このツアーは1日3食がついてくる。しかし、各テーブルでの飲み物代は別。そこでなんとか飲み物代で稼ごうとするトルコ人側と、出来る限り金を払わないで楽しもうとするフランス人側の攻防戦がはじまる。それでもフランス人の大半は水を注文するが、それ以上高くなるアルコール飲料などは、多くの人が注文しない。

 それに対して、たまたま一緒になったドイツ人グループのテーブルの上には、たくさんのビール瓶だのワインだのが並んでいる。見事な対極。トルコ人商人にとっては、どちらが“いい客”かは歴然たるもの。

 また、多くのドイツ人は値切りもせず、トルコ人側がユーロで高めに設定した値段に応じるが、フランス人はそれに抵抗する。一度ユーロで値段を言わせて、そのあとトルコリラでも値段を聞き出し、今度は電卓を取り出して差額を計算。それでも、不服だと、レートのことなど色々と持ち出したりと、とにかくたったコーヒー一杯でもなかなか金を払おうとしない。

 テーブルで水さえ注文したくないフランス人らは、あらかじめマイボトルを持参して、ウエイターの目が届かないところで、自分のグラスに注いで飲んでいる始末。

 笑える。

 これらの光景をみていると、あらためて日本人観光客がいかに“払いっぷり”がいいか・・・・、ということを痛感。こりゃあ、あらゆる観光地の商人からラブコールが来るわけだな、と。と同時に、あらゆる観光地においてフランス人のことを嫌う人が多い理由もおのずとわかる、というわけだ。

 食後は、アスペンドスの野外劇場見学。2世紀に、マルクス・アウレリウス帝時代に建設されたという、収容人数2万人を誇るこの野外劇場は、ファサードやその他、付属物の建築などがほぼ完全なカタチで残っている。雨にも負けず、観客席を駆け上り、頂上からあらためてその全景を見渡してみたが、なかなかのものだった。今でも、ここで数々のコンサートが開催されているらしいが、是非一度試してみたいものだ。

 その後は、観光客向けのアンタリアのバザールへ。ほとんどの値段がユーロで表示されており、それだけでも充分観光客向け。おまけに高い。モノによっては、パリ18区のバルベスあたりのほうが、断然安い。あらゆる商人が観光客の気をひこうとして、あらゆる言語で話し掛けてくる。イスタンブールと比較すれば、まだまだおとなしいのだろうが・・・。

 とにかく、商人らはこの観光客がどの国から来たか?、ということをまず推測したいわけだ。ドイツ人だったら嬉しいが、フランス人だったら“貧乏くじ”。夫と私はロシア人のような毛皮の帽子をかぶっていたこともあり、なんどかロシア語で挨拶される始末。ロシアなら、アジア系が混ざっていてもおかしくない、という発想なのだろう。

 最後には、どこかの商人は、私たちのことをカザフスタンの人間だと完全に勘違いしていたのには、妙に笑えた。あとで、夫がフランス人で、私が日本人だと白状しても、決して信じてくれなかったほど。

 いずれにせよ、このバザールもドイツ人観光客の懐具合にあわせて作られたものゆえ、何も買いたいものはなし。とりあえず、雰囲気を楽しませてもらった。そして、バザール裏で発見した地元人用のスーパーマーケットにて、今晩の水とワインを購入。スーパーなら、きちんと値段が良心的に定められているので安心して買い物ができる、というわけだ。

 午後6時にホテルに到着したものの、まだ夕食まで時間があったので、部屋にも戻らずそのまま再び街中へ徒歩で進出。ワインは購入したものの、栓抜きをパリに忘れてきたので、それを探しながら、街を彷徨った。ところが、信じられないことに、栓抜きがどこにも売ってない・・・・・・。

 あらゆる店で、時には英語、ドイツ語(←夫の役目、わたしゃドイツ語なんぞできましぇん)などを駆使して、それでも商人がこれらの言語を理解しない時には、ワインの栓を抜くジェスチャーをしながら一軒一軒の店をまわったが、ないのだ、これがっ!!。

 諦めかけたところで、一軒の酒屋を発見。店主に尋ねると、ここでも栓抜きは売ってないという。あと少しで赤ワインが咽元を心地よく通ることばかりを夢見てきた私は、愕然とする。が、なんと優しいことに、店主はこの店でわしらがワインを購入したわけでもないのに、それを自分の栓抜きで開けてあげようと進言してきた。

 そして、彼が取り出した栓抜きを見ると、なんと壊れている。グルグルとまわす部分がぶっ飛んでいるのだ。一抹の不安がよぎるが、とりあえず彼を見守ってみた。すると、彼はペンチを取り出し、栓抜きをそれではさみ、てこの原理でそれを機用にクルクルとまわしはじめ、見事にコルクを抜き取ってくれたっ!!。

 救われた。

 彼の店では、ビールを数本購入。一安心。

 ホテルに戻り、部屋でアペリティフ代わりにこの赤ワインで咽を潤し、相変わらずテーブルでは一切の飲料水を注文しなかった。


 さて、例の運転手の件だが、午後、バスの中でガイド自らが、事情を説明した。運転手は数日前から身体の調子があまりよくなかったようだった。おまけに例年にない寒波。そんな中、32人分のスーツケースなどを、身をかがめて出し入れしていて、一挙に心臓発作が彼を襲ったらしい。

 昨日の日記にも書いたが、私がホテルを出て散歩にでかけるときに見た運転手は、トランクの部分に、まるでロダンの彫刻の“考える人”のようなポーズで座っていたのだが、ホテルの従業員なども同じ姿勢の彼を目撃していた模様。ただ、皆、私と同じように、彼は一休みしているものだと思い、最初のうちはあまり気を払わなかったらしい。

 が、さすがに30分以上も同じ姿勢で座りつづける運転手を見て、ホテルの従業員の一人が声を彼にかけてみたところ、応答無し・・・・。そこで慌てて救急車を呼んでみたものの、彼はすでにこの世の人ではなかった・・・・、というわけだ。

 いつも元気だった大黒柱を突然失ってしまった家族は、霊安室で“信じられないっ”と、泣き叫んでいたらしい・・・・・。また、彼と長年仕事をしてきたガイドも、未だに心理的ショックから立ち直れないともらしていた・・・。

 
 私が最後に彼を見たとき、まだ息をしていたのだろうか?!?!?!。

 運転手、享年54歳。
 ご冥福をお祈り申し上げまする。


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