ゼロの視点
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2004年02月09日(月) 突然のこと

今や家族の一員のように仲良くしている中国人女性J42歳。パリ在住暦は今年で15年になろうとしている。

 本日は、妙にJに電話しなきゃいけないような気がしていた。が、タイミングを逃し、“ま、いいや夜になったらJに電話しよう・・・”等と考えて用事を済ますことを優先していた。とはいえ、Jのことが気にかかる。

 夜8時過ぎに夫が帰宅。夫も妙にJのことが気にかかったらしく、すでに会社からJに電話したとのこと。すると、Jが電話口で泣いていたそうだ。

 電話した相手が泣いていれば、もちろん“どうしたの?”という言葉をかけたくなるのが常。で、定例どおり夫がJに尋ねると、夫の電話の数分前に中国に住んでいるJの兄から“母の死”を伝えられたところだったらしい。

 Jは、社員食堂でたらふくランチを取り、カフェテリアで一服しているところに、突然飛び込んだ実母の訃報。彼女は、そこで泣き叫んでしまったそうだ・・・・。

 彼女の母は、中国で一人暮らし。持病があったわけでもなく、文字通りの突然死、享年65歳。

 Jには、弟と姉がいるのだが、実母の近所に住んでいる姉が3日おきぐらいにいつも母の様子を見に行っていた。ずいぶん前に離婚してしまっていたJの両親。父のほうはすでに再婚。離婚後、Jの母はずうっと一人暮らし。わずかな生活費で、ちいさな家に住み、細々と現在まで暮らしていた。

 そんな母を気遣って、Jの姉が最近大きなマンションを購入。そこには母のスペースも用意されていた。そして、Jはフランスからまとまった資金を姉に渡し、“さあ、これから親孝行をしよう・・・・”という矢先のことだった。そして、この件でいつものようにJの姉が母のところへ立ち寄ると、そこには冷たくなった彼女がいた・・・・、というわけだ。

 また、Jは仕事で2月5日に本当は中国へ戻る予定だった。ところがこの仕事の企画が少し延長になり、2月の下旬に変更になったところでもあった。

 この訃報を突然知った私は、すぐにJの携帯に電話。Jはしきりに

「ママは、私の帰りを待ってくれなかったわ・・・」

「昨日電話した時は、元気だったのに・・・」

「今日の朝、ママにもう一度電話しようと思ってたけれど、仕事が入っちゃって昼過ぎに電話しようと思ってたのに・・・」

「朝だったら、ママはまだ生きていたかもしれないのに・・・」

等の言葉を涙声で繰り返す。私のほうも、ウルウルしてくる。

「でも、苦しまないで亡くなっただけでも・・・」と言うのがやっとな私。


 夫も同じ国に自分の母が住んでいるとはいえ、でも仕事だのなんだので毎日彼女に会うことはできない状況ゆえ、妙に神妙になって私たちの会話を聞いている。

 午後11時過ぎに、フラッとJが我が家にやってきた。さぞかし母の死のショックで落ち込んでいるだろうと思っていたら、そうでもなかった。

 先週別れたばかりの彼に、このニュースを知らせると、そっけない態度で“ご愁傷様でした”とだけ言われたことに対して、非常に怒っている。“こんなにアタマがカラっぽなヤロウと別れて、やっぱり正解だった!!”などと息巻いてもいる。

 そんなわけで、午前1時まで、オトコとオンナの違いからくる“カップルの溝”について、えんえんと議論してしまった。また、こういった内容の本が何冊かあったので、明日北京へ行く飛行機の中での暇つぶしにと、その中の一冊をJに貸す。

 その本を明日、北京行きの飛行機の中で読みながら暇つぶしをするらしい。そして、葬式でもし実父の姿をみたら、ぶん殴ってやると息巻いて、彼女は家路についた。



 親の死は、いつかはくるもの。私が彼女の立場になったとき、意外にも別のことで怒ってたりするのだろうか?!?!?!、と自問自答した。それとも、太陽がまぶしいという理由で、誰かを殺しちゃったりして?!?!?!。
 


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