ゼロの視点
DiaryINDEXpastwill


2003年12月15日(月) 太極拳

 うちのアパルトマンの敷地内には、スポーツ施設がある。プール、体育館、卓球場、サウナなどが完備されているのだが、それを母に案内している時に、夫がふといつもの癖で、ちょっと太極拳を始め出した。

 こりゃ、面白いとばかりに、運動不足な母に、色々とストレッチ運動をさせてみた。そうすると、わが母殿、どんどんやる気になってくるではないかっ!!。

 結局、鬱々とした感情というのも、血行が悪いというのが一つの理由。いかに頭だけじゃなく、身体とのバランスをとっていくことが重要か、と言っても、なかなか動こうとしなかった母だったが、こうして有無も言わせない状況に置いてしまうと、案外やるのだな・・・、と実感。

 また、パリへくる前から、落ち着いたら太極拳教室でも通ってみたい等と言っていた母だったが、ここに太極拳の師範がいる。それは夫だ。

 夫は、太極拳の大会で台湾で準優勝までしているツワモノ。10年ほど住んでいた中国では、中国人に太極拳を教わるだけでは留まらず、最後には中国人に太極拳を趣味であるとはいえ、教えていたほどなのだ。

 長いこと、自分の親に太極拳をやらせようとしても、極力無視されてきていた夫だったが、今回は妻の母がやる気をみせたことで、突然夫は熱血太極拳教師となり、母は、その忠実な生徒になったかのように、もくもくと練習がはじまった。

 姿勢や、コツなどは、私が同時通訳。気がついたら、3人で燃えてしまって2時間も経過していた。驚いたことに、太極拳を思いっきりやった後の母の顔は、ここ数年来みたことないように若返り、すっきりとしている、ということ。母自身も、肩があがるようになって、頭のモヤモヤ感がすっ飛んでしまって本当に気持ちいいと言う。それを聞いて、嬉しくてしょうがない夫。

 ここまで、気分がよくなったところで、もう一度母を別の友人精神科医Eのところへ連れて行く。いくら母が回復したとはいえ、また飛行機に乗って、時差ぼけでおかしくなるとも限らないわけであり、いざということを考えて、すでにこの時点で母と同じ飛行機を予約していた私だった。

 が、あくまでもこれは母には内緒。というのも、呆け老人扱いする必要があるのか否か?、が焦点であって、逆に付き添って帰るということは、結果的には彼女に『こうまでしてもらわないと、私は何もできない』という絶望感すら持たせる結果を導くかもしれないからだ。

 その辺の状況を、私はプロである医師に相談したかった。それと同時に、母が日本に戻った場合の対応の仕方なども、相談したかった。それには、まず本人が医者ともう一度問診したうえで、色々と対応を練らねばならない。そんあ時、Eとの予約が取れたのだ。

 母としては、すっかり気分がよくなって通常に戻ってきているのに、ここで精神科医に連れて行かれるということは、ある意味ショックだったらしい。おまけに、また医師とわしら夫婦3人が、母のわからないフランス語でベラベラ話している状況は、一瞬、母に「娘夫婦に騙されて、このままではキチガイ病院へ入れられてしまうっ」とさえ思わせもしょうがないことなのだろう。

 先日の精神科医Gと同じように、友人としてはよく知っているEも、医者として働く姿を見るのは私達にとってははじめて。が、Eもスゴイプロ。話し方、声のトーン、質問の仕方、問診相手を言語が違うとはいっても、リラックスさせていく方法がよく心得ている。

 ところで、痴呆には色々なタイプがある。アルツハイマー、脳血管性痴呆(動脈硬化や、脳梗塞から引き起こされるもので日本人には、このタイプが多い)、そして、仮性痴呆と言って、うつ病から引き起こされるもの。

 11月の脳ドックの結果、初期の動脈硬化の兆しがあると言われている母ゆえ、母が痴呆であるなら、脳血管性痴呆か、うつ病から引き起こされる仮性痴呆(多くの医者ですら、仮性と真性の判断ができない)の可能性が考えられることになる。

 その点を今回Eは、こちらが言わずとも慎重に問診を進めていってくれた。Eからも、彼の言ったニュアンスを含め、一字一句、きちんと訳すことを私に言い渡し、また同じように、母の言ったことをすべて的確に伝えるように言われた。なかなか緊張する通訳業だ。

 Eの診断は、母は痴呆ではなく、カルチャーショックと、ショックをもともと引き起こし易い状況、つまりは愛犬の死などで、うつ病的であったことが原因ということだった。問診中も、自分のやりたいことを問われるとなかなか答えられない母というのが見受けられ、そうなると物忘れやいい間違えが増える。また、この傾向は、今年6月の私の里帰り以降、毎回母に電話するたびに、どういう状況で妄想のようなことを言うか?、ということを詳細にメモしてきた私も気がづいていたことだったゆえ、Eの判断はアル意味、私を元気ずけるものでもあった。

 また、Eは出来ることなら、今回の母の帰国には私が同行しないほうがいいということを伝えてきた。アル意味ビックリしたが、私自身ですら、一緒に帰って、色々と世話してしまうことで、もともとあった自律能力を奪うことが、現時点ではよくても、長期的視野でみたら、悪いのではないか?、という懸念があったため、この点についても、随分とEと議論させてもらった。

 また、親子であるため、不必要に喧嘩するような(時に無意識に互いに喧嘩をふっかける)ことがあると、一緒にいることがかえって母の状況を悪化させる可能性が大いにあること。

 それをするなら、まずは、脳ドックの再検査などをとりあえず母に進めておいてもらい、それと同時にときによっては、抗鬱剤などを処方して親身になってくれそうな精神科医を見つける手配などを私が進めていくということが先決とまで言われた。

 これも、私が考えていた方法だったゆえ、アル意味落ち着いた。E曰く、せっかくここまで母が元気になって、一人でやっていく自信を徐々に取り戻してきているところでのヘタな情と手助けが一番の命取り、というのはキモに命じておく。

 そして、ある程度、こういったことが済んだときに、ふと私一人で里帰りをすることが大切だ、ということも。

 最後に、このEとの問診のほとんどを母にも話したが、このことで母はまたもっとリラックスすることができたと、嬉しそうに何度も私に語り、本当に元気になってしまった。


Zero |BBSHomePage

My追加