ゼロの視点
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2003年12月10日(水) カルチャーショック

 今まで起こったことをじっくり考えてみると、母にとって、環境の変化からくるショックは凄かったし、それもまだ続いているということが痛いほどわかる。

 例えば日常的なことでの環境の変化

《1》自分の家と違う

《2》人が自分の家に来るのには慣れているが、人のうちに行くことに慣れてない

《3》風呂に入ろうと思っても、洗い場がなく、溜まった湯の中で浸かったり洗ったりを一変にしてしまう西洋の習慣への戸惑い

《4》レディーファーストという扱いされることへの、激しい戸惑い

《5》気を使い、気を回すという日本の習慣とまったく違う人間関係

《6》朝起きたら、一番にする郵便受けに新聞を取りに行くという習慣が母にはあるが、それができない(フランスの多くの人は新聞なんぞ取ってないし、買いたい時に、お気に入りをキオスクで買ったり、時にはゴミ箱から拾って読む人もたくさんいる)

《7》日本の家にあるような、いわゆる玄関というものがない。それプラス家の中で靴を履いたままいられるということに対しての戸惑い。

《8》スリ対策で、外出する時は母には手ぶらで出かけてもらうように心がけていたが、母にとっては財布と家の鍵を持たずに生活するというのは、子供の時以外は、決してなかったので、その突然の生活習慣への戸惑い。

《9》自分の子供(つまり私)が、母の想像を越えて、以外に物事をやるこなしていることで、安心すると同時に、信じられないという戸惑い(失礼だ!!)

《10》人を夕食などで家に招いた場合、日本人の妻は厨房で一歩さがって準備しているという習慣に対して、フランスでは、招いた人をもてなし、会話につねに参加するという習慣に対する戸惑い。

《11》わしらの家にいる間は、何か役に立ちたいと思うが、どれをどういじっていいのかわからない・・・・、という焦燥感。

《12》フランスの水道、メトロのボタン、ドアの鍵など、日本のそれらとは違って、かなり乱暴に扱ってもぶっ壊れないような仕組みになっていることがあるが、母のように、そうっとそれらに触れる癖がついていると、何度押しても機能しないということが多々あることへの戸惑い。

《13》洗濯物を外に干せないということへの戸惑い

《14》日本の一軒屋住まいに慣れきっている母が、突然フランスのアパルトマンに滞在した場合の戸惑い。特に我が家は、道路からアパルトマンの敷地の入る時に暗証番号、そして、インターフォン、その上にエレベーターにまで暗証番号があり、それをきちんとしないと、我が家に決して到着できない。

《15》気の利いた一言を言いたいにも関わらず、それらが全然話せないという苛立ち。

《16》妻として、母として、人の世話をするのは慣れているが、人に世話されるのにまったく慣れていない。ようするに他人に自分を預けきれない性格であるのにかかわらず、パリにいる間は、“なんにもできない、だらしがなかった”はずであった娘である私に頼らなければいけないことへの苛立ち。


 あげるときりがないので、このくらいにしておくが、特に《4》レディーファーストという扱いされることへの、激しい戸惑い、というのが私の想像以上に凄かった。例えば、夫と私と母の3人でレストランに入る。すると、夫は習慣で、母や私が脱いだコートを持って、コートをかける場所まで持っていったりすることがある。つまりはエスコートの一貫。

 が、これが、母を激しく混乱させる。どうしても信じられないのだ。母としたら、男性に働かせてしまって申し訳ない・・・・、ということになる。そこで最悪感にかられて、今度は、爆弾ゲームのように、その罪悪感を私にふってくる。『ゼロっ、ちゃんと夫に働かせないで、自分でやりなさいっ!!』というわけだ・・・・・・

 いくら説明してもだめなのだから、たちが悪い。人を呼んで我が家でディナーなどという時も同じ。夫がホストとして、シャンパンを注いだりしているのを見て、横から私に『あんたがちゃんとやってあげなさいっ』と言ってくる・・・・。とほほ・・・・。

 習慣とは、本当に恐ろしいものだと思った。日本の習慣がいいとか、いや、フランスのそれがいい、という議論ではなくて、分析するまでもなく身体に染み付いたモノということを、人間はそう簡単に変えられないということを、いやというほど思い知った。

 それと同時に、なんで私はそれほどギャップというものを感じずにここで住んでいられるのだろうか?、と考え込んでしまったほどだ・・・・・。わからん・・・・。考えすぎて、今度は私が夜間譫妄になりそうだ。


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