葉月 凛太郎の日記

2002年07月13日(土) 昨日の事から連想して。

で、昨日の日記のネタをほんのちょっぴり使います。
歌舞伎の西遊記を練習してらっしゃる所やその舞台の様子などが一部放映されたんですが、私が今回の日記で使いたいのは、悟空役の方が、師匠である市川猿之介さんが悟空を演じた時のビデオを参考に見ておられた、そのビデオの内容です。
その舞台上で猿之介さんが演じる悟空が、籠に入っていた木の実・・・果物かな?を食べるシーンが放送されたのですが。ソレがなんか楽しかったのです。籠の中から一つ取り出しては、ぽん、と自分の後ろに放り投げていくのですが。籠の中身をカラにした後、確か自分のおなかをさするようにしながら、「入った、入った」と言うのです。そしてその後、おなかをさするようにしながら正座していた足を崩し、左手を床につきながらゆっくりと横たわろうとする。
それが、見事に食べすぎで苦しくなって、ゆっくりと横になろうとしている様に見えまして。思わず「食いすぎや、悟空・・・。」と呟いてしまいました。
もしかしたら違う事を表現されていたのかもしれませんが。
少なくとも私には食いすぎた悟空が苦しくなっておなかをさすりながらゆっくりと横になろうとしているように見えました。
なんかそれが、ほのぼのとしてて面白かったのです。
その時点では、この舞台ビデオでもいいから見てみたいなー、面白そうだなー、と思うだけに留まったのですが。
その後がちょっと。

昨日授業があったんで学校行ったんですが。その帰りに何故かそのシーンを思い出して、なんだか切ないような、物悲しいような気持ちが心の中にあるのに気付きました。それがなんでなんだろうかと考えてみて・・・。
失敗でした。考えなければよかったです。
おかげで帰りし私はバーゲンを巡りながら哀しい気持ちになっていました。

原因は、「食べ過ぎ」と「寝る」の二つの組み合わせでした。
私はその二つの事柄から、無意識の中で「おおかみと七匹のこやぎ」を心の片隅に引き出してきていたようです。
私ははっきり言ってこのおはなしがあまり好きではありません。嫌いではないのですが・・・。
このお話しを思い出すたび、哀しくて切なくて、泣きそうになるのです。
このお話、最後に狼は川で溺れて死んでしまいますよね。それが哀しくてならないのです。童話というのは大抵残酷ですが。私はその中でもこの話が一番むごいと思います。
そう思う一つ目の理由は、こやぎは寝ている狼の「おなかをハサミで切って」助けられるという事です。おなかを生きたままじゃきじゃき切られる。想像しただけで血が下がりました。二つ目は、その「おなかに石を詰められた」事です。そして三つ目。「目を覚ました狼は、なんだかおなかが重い気がして、食べ過ぎたかと思って川に行きます。そして、重いおなかを両手で抱えて、ふうふう言いながら歩いて、喉が渇いて仕方なくて。やっと川にたどり着いたのに、おなかが重くて川に落ちて溺れてしまった。」事。
ここまで読めばお分かりでしょうが。私は狼に感情移入していますので、かなり表現が狼がいかにも「可哀想」に書きすぎているかもしれません。
七匹のこひつじが助かった事を純粋に喜んで、狼が嫌いだという方にとっては不愉快でしょうが・・・。私にはこのようにしか思い出せないのです。
絵本の中ではもっと違う表現だったかと思いますが。狼が起きてからの所。
とりあえずどんなだったか、確認したくありません。だって絶対泣くからです。三番目の理由書きながら泣いていましたから。確実でしょう。

おなか一杯になって、安心して眠って。目が覚めたらなんだかおなかが重くて喉が渇いて。食べ過ぎた所為かな、と思いながらおなかを抱えて歩いて。
なんだかひどく哀しくなります。狼は一体どんな心境だったんでしょうか。
喉が渇くのも、おなかが苦しいのも食べ過ぎた所為かなと思う狼が哀しくて。そのおなかに入っているのは重い石で。苦しいのはその所為なのに。
石なんかおなかに入れられてどんなに苦しかっただろうか。
食べ過ぎてしまったのかな、おなかが苦しい。そんな事を考えてでもいたのでしょうか。
喉が渇いたと重いながら重いおなかを抱えて川まで行って。
ああ、水が飲めるとほっとしただろうに。重いおなかの所為で川に落ちてしまっておなかが重くて浮き上がれなくて。
どれだけ、苦しかっただろう。

そう思って、狼は苦しかっただろうと思うから。
だから、この話しは好きではありません。
もちろん、こひつじがたべられたままでいればよかったとも思えませんが。
母羊にとって、それはひどく残酷な展開でしょう。
だけど、それでも。狼がかわいそうに思えてならないのです。


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葉月 凛太郎