あと、私は占い師の弟子でもあります。 四柱推命や気学を主に扱っています。 これが、また宗教と同じスタンスで、どこか引いた目で見ながらやるという複雑なことになっています。 この若さで、全てを宗教や占いに委ねるにはどうしても抵抗があるからです。 神秘主義者とか非科学的なことを妄信する人は、私にとってかっこいいことではないからなのです。 でも、占い師である・・・。言ってることとやってることが全く違うという事実ですよ。
そんな矛盾を抱えながらやっているのは、自ら占いを用いてみて、役立つことが多いのです。 神秘というより、実用に向いています。 そして、それで実際に自分や友人が楽になることがあるのです。
それは、普段から、楽しく心地よい生活をしようと心がけているけど、アクシデントがあってうまくいかない。 占いを使う。そしたら今は、たまたま悪い時期なのだとわかる。この時期を抜ければよくなる。と納得する。 それでもうまくいかない場合は、神頼みといえば言葉は悪いけど、人間の力でじたばたしても仕方ないと諦めるが肝心です。 今、何か困難があっても、それは必要な困難なのだからと、きっと乗り越えたら、自分にとってよいことになると思うのです。
実際、お客さんで日常では考えられない困難が起きて相談しに来る方がいます。 占ってみると、その方にとって衰運の時期だと判明します。 そしてその時期を過ぎたら好転すると予想します。 それで、ひとまず待ってみようと、短気を抑えるわけです。 そして、時期が来て本当に解決したりするのです。 これで私の占いがよく当たる、とお客は喜び、これからも 何かあったり困った時は私に相談しようと考えるわけです。
でも、私の占いがよく当たる、というのは実はちょっと違うと考えているのです。 このお客さんは、自分の運に従って、私と出会い、行動したと思います。 世の中にはいろんな人がいて、運勢どおりに歩んでいる人もいればそうでない人もいます。
運勢どおりの人は、鑑定しやすいし、結果も出やすい。そうでない人はそれなりに。 運の良い人が、ピンチのときに、自分の運の命ずるままに助けを受けにやってきたのではないか 悪い考えや行動に取り付かれそうになったそのときに、 日ごろの行いが良いとか、神様の力か先祖さんに守られているとかで 悪い行動に足止めがされたのではないかと思います。
そんなことを考えたら、私の占いがどうこうではないのではないかと思えるのです。 私は通過地点で、ショートカットなのかもしれません。 自分を救うのは自分だけ、これも以前から納得して思ってることです。
そんなわけで宗教にはいっても、よく当たる占い師にみてもらっても、人生は変わらないと思われます。 自分を幸せにできるのは、自分の行い、考え方からだと実感するのです。 それ以外のことは、全て補助であり、自分がどう生かすと思うのです。
ちょっとわかりにくいかもしれないけど、私はここ10年間でそんな考えが浮かんできました。
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占いに限らず、私はおこがましくもいろんな方にいろんなアドバイスを送ることが度々あります。 それを実行して、上手くいったと、感謝されることもあります。 逆にアドバイスを求めるだけは求めて、何も実行せずにいる人や私に哀しい思いをさせる人もいます。
そのたびに実感するのです。 人は自分で自分を助けているのだな〜と。 決して私の力なんかではないのだと。
どの人にも同じように、助けの手や勉強のチャンスが訪れるのですが、 その時に、補助の手や知恵を受け取れない人もいるのです。
(私のアドバイスが絶対に正しいわけではないので、 私のいう事が間違ってると判断して、右から左へ受け流す人もいるでしょうけど。)
神様を信じることや良い心がけでいるように努力することは ピンチや危険のあるときに、それを逃れる知恵や助けを得るチャンスを引き寄せる行為なんじゃないかと思うのです。
不思議な偶然や人との出会い、それはどこから来るのかと考えたら、それしかないな〜と思うのです。 そして幸せとは自分の思い通りに全て行くことではないということを忘れないでいれば間違いないと思います。
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