2007年08月12日(日) |
当たり前にやってもダメだったとき・・ |
HP新書の「女性の品格」装いから生き方までをパラパラ読み。 どっかの書評で、「当たり前の事しか書いてない」という感じの感想を見ていたので ま、その通りです。 でも、その当たり前の事が当たり前でない世の中なので 当たり前のことを書いている本が本として成立するわけですわ。 そして当たり前の事を当たり前にやってのける人にも価値があるわけですね。
実際世間には、話し方、服装、メイクなどをとってみても、 その辺り優等生ではない私からみても、なんじゃこりゃ〜!という人々で溢れている。
若い子の勘違い〜いつかはわかるよ〜的なものもあれば おばちゃんはもう女を捨ててるんだね〜 これは見てみぬ振りをしてあげなくては・・という感じまで幅広いのですが どの時代なら、この「女性の品格」にある当たり前の人が沢山生息していたのでしょうか?
人は見た目が90%、それは美人ということではなく、服装、振る舞い、話し方から判断される。
そんなこと、小さい時からわかっていましたよ。 だって、きちんと挨拶できたり、服装もちゃんとしていたら、大人のウケがいいんだもん。 影でルール違反をしても、勉強ができなくても、その大人のツボさえ抑えておけばお咎めは少なかった。
あからさまに態度も外見も乱れているし、ルール無用で、勉強できないと これでもか、これでもか!と大人たちに咎められる。 私は、この子たちは、わざと大人にかまって貰いたいからやってるのかな〜とも思っていた。奇特だ。 きっとそうだ〜愛情に飢えていたんだねw
でも、どちらにしてもそれは大人未満ならどちらもOKな範囲です。
話はズレたけど、一見窮屈そうですが、この本のいうように、当たり前のことをちゃんとしているほうが私は楽でした。 当たり前のことを避けて、人が眉をしかめるようなあらゆることをやっている人こそ、肝が据わってる気がします。 自由で、怖いものがない。失うものは何も無い。あと自分を大切にしなくてもいい、つまり捨て鉢? そんな感じ。たんなる考え無しの場合のが多いのでしょうけど。
以前、ガングロメイクの女性が「男の視線から自由になれる」という理由から そうしているのだと本で読んだことがありますが、とても納得して、とても哀しく、共感できました。
当たり前に振るまって、それでもダメだったときの恐怖を避ける装置でもあるのかもしれません。 この本の通りにやってもダメなものはダメなんだということもあるということ。 そんなことは無い、そう思いたいです。
概ね納得できたけど、一部はどうしても無理、できたらそれは聖人の域では?と思えた それはグチを言わないこと。会社の悪口も言わない。私には無理w
どんなに親しくしている友人ても、いつ何時仲たがいをするかわからないので、 話されたらまずいことは言わないでおきましょう〜とありました。 まあそうなんだけど。
私は基本的に、なんでもあけすけにものを言います。 あまり親しくなくても言っているかもしれませんw
私が誰かの悪口を言って、それが相手に伝わった場合に困るような悪口は言って無いつもり。 悪口ではなく、本当の事を言っているだろうし、第三者に言う前に本人の前で言っている。 ま、申し訳ないけど、私の前で「あ〜しまった」という事をした場合、ネタに使われてしまうのを覚悟で。
私も最初の頃は、他人の失敗、というか困ったな〜と思った点を他人に言うのはどうかな〜と思っていたんだけど 私の場合、それを例として、同じ失敗を繰り返しすほかの人に有効なので、使います。 でも、その場合、全く知らない人の場合が多いから、問題ないのかな〜。
あと旦那の悪口も言わないほうがいい、それを言ったら、「そんなイヤな人となんで一緒にいるの?別れたらいいのに」と思う〜 とかありましたが、そんな簡単なもんじゃないのにな〜と思えました。 会社もいやなら、転職しろ、と書いてあったけど、それをできないのは自分の能力がないからだ〜って ま、本当にごもっともなんだけど。勝者の論理だな〜
それができないから、グチをきいてもらってなんとか治めるんじゃん! だし、そんなこと真に受けて、離婚したり、転職して、生活が立ち行かなくなる人が続出したら大変だ!
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