同じ意味で、「喪男本」も哲学・宗教+オタクカルチャーのガイドブックといってもいいと思います。 何より、哲学も宗教も「モテたくて」の裏返しから始まってると喝破しているのがいい。 随分昔に「モテたくて」という本を人から薦められて読んで、ものすごく納得したことがありました。 以後、この世の不条理を説明するのに、この本を何度引用したことでしょう。 「喪男」は「モテ」の反対なのですが、喪男からモテへ一発逆転の道筋があるように 「モテたくて」も元々は「喪男」から派生した物語といえるだけに根っこは一緒です。
とにかく面白いのですきです。
「汝の隣人を愛せ」などすばらしい教えがあるのに、全然実践できてないと思われる、私が長い間、不審に思っていた 宗教への疑問なども明快に解読してあり、 「イエスに萌えれば萌える程、イエスに萌えない異教徒を打ち倒したくなってしまう、という悪循環にハマった」 ほとんどの人類に、イエスの教えは実践は難しすぎた。 組織化・個人のカリスマ化・大系化は、本来の思想を覆してしまうということ〜などなど「やっぱりね〜」と楽しく読んでいる途中です。
「宗教」の必要性とその功罪がよくわかる。 ノールールでいることの現世界の恐ろしさ。 同じルールであれば、話はわかりやすくなります。 国境を越えて、同じルールを提供するとしたら宗教になります。 しかし、それも押し付け合い、争いになり、よりパワーのある方が勝者となり 本来の「宗教」の教祖が説いた話は全く蚊帳の外になります。
結局、人間て自分以外の人が怖いのです。 そして怖くないとわかったら、勝者でありたがり、その力を誇示します。 どうしようもないですね。
でも、私の中にもその災いが潜んでいます。 自分の好きなものを否定されたりするのはやはり哀しいと思うからです。 自分が良い、と思ってるいるものを真っ向から否定されると、 「私ってセンスないのかな」とか「バカなのかな」と思ったりするからです。
でも、自分が好きなものを、みんなが好きというのもオカシイとちゃんとわかっているので大丈夫なのです。 逆に、「私だけがこれのよさに気付いているのよ」的な喜びを見いだせる力ももっているのです。 そして何より、「相手にわからせたい!」とか「復讐したい」とかは思わないのです。
それは「モテ」や「勝者」へのベクトルが全く逆ということになると思います。 そうすると、そういう気持ちが割りと強めな「モテ」を気にせず生きているオタクや腐女子のが、 世界平和に貢献しているのかもしれません。 ただし、そうするとやはり人類は発展しないかもしれません。 この辺りのバランスが難しいのでしょうね。
しかし、オタクや腐女子の中にも、自分が好きなものが1番といい、組織化、体系化したい人も 沢山、いるのでした。 過去にそれに巻き込まれ、恐ろしい光景をみたことがあったのだった。 やっぱり人間はそう簡単に「モテ」の力から抜け出せないのです
本田 透 / 講談社(2006/12/20) Amazonランキング:64836位 Amazonおすすめ度:
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