だから猫が飼いたいのに・・

2002年05月23日(木) 幼い日本人・・か〜。

今朝朝の連続テレビ小説「さくら」を見ていた。
ハワイ日系3世の主人公が日本へ教師として1年間暮らし成長する物語の中で
さくらの母親はハワイに嫁ぐのに父親の反対を押し切って結婚した過去があり
未だに絶縁状態。その2人の仲直りも物語の伏線にあるのだが、
いよいよさくらの妹の‘もも’も日本にやってきて、この伏線の解決がクライマックスに突入という所でした。
日本にやってきたばかりの頃のさくらよりもパワーアップしたいわゆるアメリカ人ぶりを発揮してももは周囲を引かせている中で
さくらの母親と祖父が仲直りできないのは「義理人情のせい」だとか「過去の経緯もあるけど1人娘を遠い土地へ嫁にやる寂しさもあったからだ・・・」と過去を知る人々がもも言って聞かせたりします。
しかし‘もも’は「それは幼いです」というような事をいいました。
本当に大事な娘の幸せを喜んでやれないのはおかしいみたいなこともいっていたかな。
(ハッキリとしたセリフは覚えてない。なんせ出勤前にながら試聴、お弁当つくり、ご飯食べ、さらに今日は洗濯干しまでしてた)
そこで、ああそうだな。日本人て幼いんだろうな〜と思っていた。
あくまでこれはドラマだし、もともとこのドラマのシリーズ自体、話を膨らますためや物語の設定上、過去にいろいろ事実と違っていて問題になっていたりするから、まんま受け取ってはいけないけど
ここで描かれている日本人はあくまで想像上のみんながわかりやすい日本人だったり、アメリカ人だったりするのだと思うから。
ドラマでの祖父の頑固さやわかりにくい思いやりは、いかにも義理人情という昔からの日本人の美徳の1つに入るもので、しかも家族という狭いカテゴリーの中、フィクションで効果的に使っているのはごくごく当たり前なんだけど
そのまんま現実の世界に出したらやっぱりとんでもないことになるんだよね。
ここ最近起きた数々の日本ピンチ事件はどれもこれも幼稚で自分勝手な想像力しかない、あるいは個人というものは欠落している現場から起きているような気がして、尚更‘もも’のいう「幼い」に反応してしまったのだと思う。
(じゃあアメリカ人はどうなんだ?と思わないでもないが・・)

ドラマや世界の情勢もさながら、私個人の周りでもそういう日本人的な幼さに出会い驚くことも少なくない。
私自身も決して立派な大人だなんていえないけど、さくらの祖父のような幼さとは無縁でいたいと思っている。
少なくとも自分が寂しいからといって、他人の幸せに影を落とす真似はしたくないなあ。(まあ親子とか血のつながりのある者どうしだとタガが外れてしまうのかもしれんが)
そういえば「千と千尋の神隠し」でもゆばーばが自分勝手な愛で自分の息子である坊を永遠に閉じ込めて暮らさせようとしていたなあ。
さくらの祖父は他は曲がったことが嫌いな頑固おやじみたいに描かれているので(小林亜星がコミカルに演じている)
やっぱ親子でいろいろあるとこうなる・・かもという事かなあ。
それでは親子なら仕方ないとして(よくないけど)でも赤の他人にはそんな幼さを分かれというのは無理だ。
早くそうした幼さから成長できるといいのだが・・・

なんだか真面目くさっていますが、ドラマ自体は笑いあり、涙ありでぼんやり見るのには最適かと思います。
野口ごろーがいけすかない英語教師を好演しているのも笑えるし、外国人タレント総出演で珍しいです。


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