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2004年04月14日(水) 当てにしてはいけない

こんばんわ。ゆみなです。
あゆとるるがやる気になってきたようだ。しかしこれもいつまで続くか分かったもんじゃない。
もしかしたら次回は一週間後、一年後、30年後となる可能性もある。
毎回「今日が最後」という思いで読んでもらったほうがいいだろう。

さて、るるんとこのタッキーちゃんが小学校に入学した。
るるも誕生日だったらしい。るるとはもう三年くらいつきあっているのに毎年自己申告されるまですっかり忘れてる私とあゆだ。
それでも去年までは義理で「おめでとう」の一言くらいは言っていた。
しかし昨日のあゆの日記にはとうとう最後の最後まで、小細工ボタンにさえ「おめでとう」の一言もなかった。
忘れてたのか。忘れたフリをしていたのか。それともめでたくないのか。

多分今年のるる家では入学と誕生日のお祝いをまとめてやったのだと思う。
まったく安上がりな家庭である。
きっと近所の焼き肉屋さんあたりに行き、一度の乾杯で済ませ、帰りには車を買うフリをして試乗がてら自宅まで帰ったに違いない。


ま、そんなことはどうでもいい。
本題に入るとしよう。
私は無宗教だ。もっというなら無学で無品性で、無金だ。
だが無宗教とはいっても家には仏壇もあるし神棚もある。
十字架のピアスだって持ってるから完全なる無宗教とはいえないのかもしれないが、わざわざXジャパンをやめてまでのめり込むほど信じきってる神様がいないということだ。
私はいつからXジャパンのメンバーだったのか。
だが、そんな私でも、何か良くないことがあると「バチがあたったのではないか。」と不安になる。
たとえばドラムのバチが顔面に直撃した時なんか、特に強く感じる。
あと植木鉢が上から落ちてきたときなんかも、それは思う。
またその反面もあり、なにか善行を施せば神様は見ていてくれるのではないかとも思うのだ。
この前の日曜日、朝起きてすぐに去年の大晦日でさえしなかった台所回りを丁寧に掃除した。
それだけではない。おととしの大晦日でさえしなかった換気扇も磨いた。
それでもまだ足りないと感じた私は、その前年の大晦日でさえ、ともすれば引っ越してから一度も開けてないと思われる押入れの上段の整理までした。
家族から見れば、「私は自殺でもする気なのか。」
「家出でもする気なのか」
「カツ丼でも食べたいのか」と不安にさせてしまうほど部屋中を掃除したのだ。
そんな私に触発されてか、ダンナまで朝起きてから庭に直行し、雑草とりに精を出していた。
するとほとんどが雑草だったのか庭は単なる土の広場となっていた。
夫婦揃って、こんなに良い事をしたのはおばあちゃんがボケた時に
「大丈夫だよ!おばあちゃんは200歳まで生きるから安心してね。」と慰めたとき以来だ。
ここまですれば神様だって黙っちゃいないだろう。
私は神様を信じて桜花賞に臨んだ。
結論から言おう。
やっぱり神様なんかいやしないってことだ。
あんなに掃除して損した気分だ。また元のように汚してやろうかとさえ思った。
もしかしたら掃除しながら第一レースから競馬にうつつを抜かしていたのがばれたのかもしれない。
それとも競馬しながら掃除してたのが神様にはお見通しだったのか。
だがこれできっぱり私の決意は固まった。
どうせ神様なんかいないのだからどんな善行を施したって無意味だと分かっただけでも収穫だ。
今度の皐月賞は心置きなく競馬に打ち込むことが出来るというもんだ。






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