今日は美術館の日。オルセーにいったことがないので、行ってみる。 眼を射るように日差しが強い。でも、歩いてセーヌ川を越えてオルセーに。 途中で、W杯の看板?を見る。各国の選手が勢ぞろい。おお、中田が。 オルセーは割と満遍なく観られたと思う。やはり印象派が質量ともに揃っている。 サン・ラザール駅にのイメージがあるせいか、元駅舎のこの美術館そのものが印象派に似合っている気がする。 ただ、一番強烈な印象を受けたのは、リアリズムのクールベの絵。グロテスクなまでのリアリティーだ。 ギュスターヴ・モローはその繊麗な筆致が好き。特にサロメが好きだが、ここにはなかった。 ルドンのパステルも何点もあった。 モネのルーアン大聖堂やマネの草上の昼食、ピサロやカイユボットがある最上階では、 ガラス張りの時計の向こうにパリ市内が一望できた。真っ白なサクレクール寺院や、 緑の屋根に金の彫刻のオペラ座が、青空に映えて綺麗に見えた。
昼食を、オルセーのカフェで取る。さすが、パリの美術館のカフェ、レベルが高い。 地中海風とか、オリエント風とか名付けられたプレートのメニューがあって、私は北欧風を選んだ。 ピタパンみたいな柔らかな薄手のパンと、サラダにスモークサーモンと同じく燻製の白身魚に、 小海老のマリネ。おいしかった。値段も安くはないけれど、これなら納得できる。
昼食後しばらく、またオルセーを見て回り、次にルーブルに行こうか、ギュスターヴ・モロー美術館に 行こうか悩んだ結果、ルーブルへ。(モロー美術館は遠かったから。) 一番好きなギリシャ彫刻のセクションへ。ミロのヴィーナスとサモトラケのニケの周辺はやはり とても混雑している。ヴィーナスはそんなに好きではないけど、ニケは好き。 あれにどんな腕を復元しても、誰もが納得しないんだろうな。腕も顔も失ったからこそ、 生き生きと自由に、羽ばたいている感じを受ける。 リュシッポスのアレクサンドロス像の摸刻を懐かしく眺め(大学の卒論テーマだったから)、 カッセルのアポロンの摸刻を憧憬をこめて眺める。パルテノン神殿の総監督を勤めた フェイディアス作のアポロン像の摸刻、カッセルのアポロンは私が一番見たい彫刻だ。 抑制の効いた端正な表情が美しい。いつか、ドイツのカッセル市を訪れるつもりだ。
気になったことが一つ。彫刻に対して、ぞんざいな態度を取る人がいる気がした。 イタリア人らしき観光客は平気で撫でさすっていたが、大理石なんだから汗がついた手で 撫でまわされたら溶けるのだ。微弱であっても。当然磨耗もするし。 他にも、日本人女性がリュシッポスのヘルメス像の台座に座ってフィルムを替えていた。 そこは椅子じゃないのですが。はっきりと彫刻自体に触れているし。 注意されても、何を言われているかよくわからないらしい。
その後、イタリア・ルネッサンス絵画へ。 レオナルドの絵がたくさんあって嬉しい。 友人は聖ヨハネやディオニュソスの、中性的なレオナルドの絵が好きだといっていた。 逆に言えば、聖アンナも中性的なんだろうな。ナショナル・ギャラリーにあるカルトンと同じモチーフの 聖アンナと聖母子の油彩画がとても好き。 館内ではフラッシュ禁止だが、モナ・リザの前では大量にフラッシュをたいて写真撮影が 行われている。うそかほんとか知らないが、あのガラスケースは光を反射して絵が傷まないように、 写真に写らないようになっていると聞いた。真偽のほどはどうなんだろう? 何故、モナ・リザだけがこんなに人気なのか? 比較文化のセミナーでもウォルター・ベンジャミンのAURA(本物のみが持つ光輝、のようなもの) の話が出たときに、話題に上った。 有名だから、一目見てみたい。と言う。では何故、そもそも有名になったのか。 あの絵を心底好きという人はどのぐらいいるのだろう?或いは、美しいと思っている人は? ある研究者は、むしろ嫌悪感を抱く人のほうが多いといっていた。だからこそ印象的だと。 別の人は、好悪のいずれにしろ無視できない存在感があるとも。 どの角度から見てもショコンダに見つめられているように思わせるテクニック、 一見リアルに見えて実は現実にはありえない背景。それらが人の無意識に働きかけるのだと言う。 また、或いは単にコマーシャリズムの成功例と言う人もいる。 どれも正しいようでいて、どれも納得するのに十分ではない。
夕食に名物のクレープを食べようと思っていたのに、ホテルの近所のクレープやさんが、 日曜日で休業だった。残念。「クレープリー」を「クレプスリー」と読んでしまう私は、 ダレン・シャン一巻を読書中。 その後のユーロスターに乗る経緯は前述のとおり。
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