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2001年10月15日(月) ■ |
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シングルトンズ・ダイアリー/父の命日 |
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AM.3:00 今日は父の命日なので、お墓参りに行ってこようと思う。 父には思いっきり心配をかけたから、結婚して来月で丸10年になります、どうか安心してくださいと報告したい。 あの日、今ごろはまだ病院で、わずかな望みを抱いて、父の傍らにいた。
「父に動揺した様子はなかった。おまえに頼れる相手ができて、お父さんはうれしいと言った。それはとても大事なことだと」 ─メリッサ・バンク『娘たちの狩りと釣りの手引き』
父は厳格(わからずやともいう)で、男の子とのつきあいなど、顔も名前も知らないうちから全てダメ!の一点ばりだった。お見合い話があっても、全て父が断っていた。 ダーリンと付き合い始めた時、母にそっと電話で打ち明けていたら、電話の向こうで父の声がした。
「野球はどこが好きなんだ!」 「(ぎょ!)・・・・よ、横浜ベイスターズ(当時大洋ホエールズ)だって」
「麻雀はやるのか!」 「(はあ?)・・・・す、するって」
「それならいい!」
なんか、聞くこと間違ってない?パパ? 普通は、仕事は何をしているとか、収入は安定しているのかとか、そんなふうなことを聞くんじゃないのかなあ? これまでは、有無を言わさず、会いもせず、話も聞かずだったのに、なんで今回はいいわけ?それこそ顔も見たこともないのに・・・???
最初の父との顔合わせはゴルフ場にして、一緒にプレーした。こちらとしては、これも考えに考えた末のこと。妙に改まった席を設けるのも、へそ曲がりの父には逆効果だろうと、母と娘の意見が一致したためだ。
「なかなか筋がいい!」
ともあれそういうわけで、ダーリンが横浜ファンで、麻雀ができ、ゴルフの筋が良かったため、めでたく結婚できた。
でも、パパは間違ってなかったよ。パパは正しかったよ。 彼は私にとって「赤い糸」だったよ。
どうして父が、私にとっての「赤い糸」を見極めたのか、いまだに謎だけれど、それまでのボーイフレンドのことを考えると、見事なまでに、完璧に、父の見立ては正しかった。見立てと書いたけれど、見てもいないうちから分ったのは、一体全体どうしてなんだろう?
「自分の命に代えても守ってやる」と言ってくれた父。 その父に、亡くなる3日前、電話で泣き言を言ってしまった。その頃は「内面の安定」など考えられないくらい、非常に不安定だったから。
「そんなことで悩むのはかわいそうだな」
とぽつりと言って、父は電話を切った。 それっきりだった。 心配させたまま、永久に会えなくなってしまった。
あんなことを言わなきゃよかった!なんであんなこと言ったんだろう!嘘でもいいから「毎日幸せに暮らしてる」といえば良かったと、ものすごく後悔して、それがずっとずっと心のしこりになっていた毎日。
だから10年目を迎える今年、父にきちんと報告したかったのだ。 ちゃんと幸せにやってるよ!あたしはパパの遺伝子を引き継いでぐうたらだけど、幸せにしてもらってるよ!って。 これから何があるかわからないけど、ちゃんと自分の責任で、前を向いてしっかりやっていくからだいじょうぶだよって。
「父は逝ってしまった。もうこれ以上なにも失うものはないと思っていたが、ふと気がついてみれば、すでに失っていたのだ。いつかまた、あんなふうに誰かに愛してもらえるのではないかという希望を」 ─メリッサ・バンク『娘たちのための狩りと釣りの手引き』
◆「遺伝子は永遠に不滅です!」
父の後を継いだ弟は、父に負けず劣らずのへそ曲がりで、唖然とするような屁理屈をこねる。
母が弟を人に紹介するとき、「未熟者ですが」と言ったら、「未熟者で医者ができるか!」と怒った。 姉はただ、ごもっともですと思うばかり。
帰りに弟に「寒くなるから、風邪ひかないようにね」と声をかけたら、「医者に風邪引くなとはなんだ!オレを何だと思ってる!」と怒られた。 姉はただ、医者の不養生という言葉もあるだろうと思うばかり。
私には「ぐうたら」のDNA、後継ぎの弟には「へそ曲がり」のDNA。もうひとりの弟にはせめて、も少しましなDNAが受け継がれているといいんだけど。
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