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Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
2006年01月07日(土)
“恋愛”そして“イメージ”の差異。
以下、昨日思ったことをダラダラと日記化。(よって、まとまりのない文章になること確実。。)
昨夜、恋人サマと彼の友達2名と一緒にごはんを食べに行った時、彼の友人Y氏に「なんで君らはそんなにうまくいってるのかねえ、それが不思議だー」と、すごく不思議そうに言われ、その流れでY氏の恋愛相談へと流れ、よくわからないうちに、恋愛についてアドバイスする役割を担わされそうになって焦った。。(注;確かにうまくいっておりますが、たまにケンカもしておりますです。なので、うまくいくための「ケンカのコツ」だけ話しておきました、はい。。)
というか、私は、基本的に、人の恋愛にアドバイスをするのは苦手なんですよなぁ、ふむ。。自分でも不親切だとは思うのであるが、適当なことを言って妙にこじらせるのも罪深い行為だとも思うし、相手の話を聞いているうちに相手の内に潜む問題点に気づいたとしても、それを相手に告げたところで何も変わらないようにも思うし。(だって、一般的に考えても、部外者である私が何か言ったところで、当事者間に影響を与えるほどの効果はない可能性は高いでありましょう。)
そりゃ、関係を上手くいかせるための方法やテクニックや原則というのは世の中に存在している(→だって、なんやかんや言って、みんな「人間」という動物なのだから共通性は多いわけである。)けれど、そもそも、「恋愛」と一口に言っても、人によって結びつき方や共有している価値観も違うワケなのである。
よって、「恋愛」という二文字が想起させるイメージって人それぞれ違っていて当然だし幾通りもあるワケで、結局のところ、答えは「禅の実践」だということになってしまう。。(注;あくまで私の考えでは。。)
要するに、その人“個人の”「恋愛」という概念に対するイメージと、現実の“二人の”「恋愛」が乖離しているというのが不満が出てくる根本的原因なのではないかと思ったり。(→なので、大きく二つに分けるとすれば、共有できるイメージを持つか、もしくは、「禅」的な方法を用いる、要するにイメージするのは止めて目の前の相手の特徴をよく観察し合う、という方向性があるのかもな、と思ったりもしたんだけど、断定できないので()で括りつつ終了。。)
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