RSS配信β版
   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
lll ホーム lll lll 本棚.org lll lll メモ帳 lll lll 未 来 lll lll 過 去 lll lll 目 次 lll


2005年10月05日(水)
それにしても、遊びの恋愛と本気の恋愛は、どこで区別されるのだろう。

前回に引き続き、お風呂で『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)を再読していたら、改めて「だよな、だよな、そうだよな♪」と思った箇所があったので、次いでにここにもメモ化し公表♪


(略)それにしても、遊びの恋愛と本気の恋愛は、どこで区別されるのだろう。どうしたら他人に、それが解るのだろう。男に遊ばれたっていいじゃないか。女の方が真剣なら、うつつを抜かしているのなら、それは本気の恋愛なのではないだろうか。

貢いだっていいじゃないか。それが自分のお金なら。貢がれている男は、日本にだって沢山いる。もちろん貢がれている女は、多分、それ以上に沢山いる。

(中略)バリ島で男狩り?すると、日本で男を探している女はいないのか?それじゃあ、結婚したい結婚したいと、条件をつけて男を捜している、あの女たちは、いったいなんなのだ。

浮気と称して、妻以外の女性とセックスする男性は、遊びの恋愛はけしからんよ、などどは言われない。多くの女達は、他人の男が何をしようがなんの興味もないからである。

(略)あらすじには、さまざまなディティルがあるのである。他人の恋愛にも、色々な感情が絡んでいるのである。そのことを理解した上で語ろうとすると、恋愛に、善悪などどいう価値判断が無用であることに気づく。

あるのは、自分自身が、自分自身のために創り上げて来たモラルだけである。そして、それは他人には応用出来ないのだ。

(略)あらすじだけでは、何も解らない。どのようなディティルを持っていたか、どのようなセンティメントがそこに潜んでいたのかを知るのは、それを実際に味わった人だけなのだ。自分をさておき、を繰り返していると、段々、それが見えなくなってくる。

『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用。


ふむふむ。確かにそうなのである。「遊びの恋愛」と「本気の恋愛」は、外から見ただけでは区別できないのである。というか、「区別」なんていう発想をしていると、「恋愛」するコト自体がつまらないものに成り下がってしまうような気もしますよなぁ。


それに、世の中を見渡してみれば、結果として「結婚」すれば「本気」、というワケでは決してないものですよね、ホント。。周囲の人間は「お、結婚したんだな、めでたいな♪」と思うのが常ではありますが、最近、離婚に至った知人と話していて、「ああ、当事者から見ればそういうワケではないのだな。。」としみじみと思ったりしました、はい(苦笑)。


また、「ディティル」こそが大切というのもホントそうですよなぁ。例えば、映画『マディソン郡の橋』って、あらすじだけで言えば「4日間の不倫」なワケですが、ディテールが美しかったからこそ、同じ不倫映画というジャンルに分類される『失楽園』とは違った雰囲気を醸し出しているワケですよなぁ。。


なので、「あらすじ」って、あんまり意味ないことだよなぁ、それって他人の恋愛にも共通することだよなぁ、と、このエッセイを読んで思ったのでありました、はい。

というか、わたし個人は、貢ぐのは趣味ではないのでしないのですが、したい人はすればいいと思うのであるよ、恋愛という個人的領域は、すべてが自己責任で成り立っているワケだし。それに、個人個人が各自の所得をどんなサービス・物に費やすか、って、まさに個人的な問題なワケですし。


(→と言っても、行った行為が相手にとって迷惑であり法的に問題となる場合は、自己責任論で済まされないのであるが。。例えば『ストーカー規制法』など。)


それに、恋愛というのは、本気と遊びが共存しているからこそ恋愛なのだろうなぁと思ったりもしますしなぁ。要するに、恋愛するならするで「本気で」「遊ぶ」のが大事なのかもですね、あは(笑)♪
←未来  目次  過去→

「たらこ」スキン:エンピツスキンニュース++

My追加
エンピツ