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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2005年10月07日(金)
「純粋」という言葉のなぞ。

ついでにこれも、前回に引き続き『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用しメモ化♪



(略)時に、男友達が男性としての輪郭をくっきりと浮き立たせて、喋る時がある。彼らの言うところの「純粋な女の子」が、その場に混じっている時である。まあ、私達が女性として意識されてないと言えば、それまでなのだが、この「純粋」ってのが、どうも、私の価値観とは合わないようなのだ。


「純粋な女の子」たちは、キスのことを「チュー」と言い、セックスのことを「エッチ」と言う。両方とも、私の言葉の美意識の中では、許されない言い回しなのだが、どうやら男性は、そちらの方が、許せるらしいのだ。


そんな言い方は、下卑ているよ、と私が、うっかり口に出そうものなら、あんな純粋な女の子をいじめるなよ、と言い返されそうだし。彼らが、女性に求める純粋さって何?

『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用。


前提として、詠美先生は、すでにある種の男性が用いる「純粋」 という言葉の実態を捉えているのであるが、ここでは単に、エッセイのネタとして、読者に語りかけるために書いただけ、だと思われる。

その前提の上で、ちとほざくと。

「純粋」というのは英語で言えばinnocence(無邪気、無垢、純潔、純真)なのでありますが、それに反して、ある種の男性が使用する「純粋な女の子」という文脈での「純粋」って、子供っぽい(childish)という意味での「無知」、という概念と似ているのかもしれず。なので、ある種の男性からすると、「純粋な女の子」って、操縦しやすい雰囲気を感じるという面もあるのかなぁ、と。

でもまぁ、実際のところ、「純粋な女の子」を“演じる”というのは、かなり高等な演技力を必要とするものですよなぁ、ふむ。それに、その「純粋な女の子」とやらを実際に見てみないことには、その子が演技で以って「純粋な女の子」を演じているのか、本当に「純粋な女の子」なのかは定かではないよなぁ、と思いましたです、はい。

でもまぁ、女性の皆様はお気づきの通り、男性が言うところの「純粋な女の子」って、ほとんど98%くらいの勢いで「演技」だよね、あは(苦笑)。
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