ついでにこれも、前回に引き続き
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用しメモ化♪
(略)時に、男友達が男性としての輪郭をくっきりと浮き立たせて、喋る時がある。彼らの言うところの「純粋な女の子」が、その場に混じっている時である。まあ、私達が女性として意識されてないと言えば、それまでなのだが、この「純粋」ってのが、どうも、私の価値観とは合わないようなのだ。
「純粋な女の子」たちは、キスのことを「チュー」と言い、セックスのことを「エッチ」と言う。両方とも、私の言葉の美意識の中では、許されない言い回しなのだが、どうやら男性は、そちらの方が、許せるらしいのだ。
そんな言い方は、下卑ているよ、と私が、うっかり口に出そうものなら、あんな純粋な女の子をいじめるなよ、と言い返されそうだし。彼らが、女性に求める純粋さって何?
『Amy Says』(山田詠美著/新潮文庫)より引用。
前提として、詠美先生は、すでにある種の男性が用いる「純粋」 という言葉の実態を捉えているのであるが、ここでは単に、エッセイのネタとして、読者に語りかけるために書いただけ、だと思われる。
その前提の上で、ちとほざくと。
「純粋」というのは英語で言えばinnocence(無邪気、無垢、純潔、純真)なのでありますが、それに反して、ある種の男性が使用する「純粋な女の子」という文脈での「純粋」って、子供っぽい(childish)という意味での「無知」、という概念と似ているのかもしれず。なので、ある種の男性からすると、「純粋な女の子」って、操縦しやすい雰囲気を感じるという面もあるのかなぁ、と。
でもまぁ、実際のところ、「純粋な女の子」を“演じる”というのは、かなり高等な演技力を必要とするものですよなぁ、ふむ。それに、その「純粋な女の子」とやらを実際に見てみないことには、その子が演技で以って「純粋な女の子」を演じているのか、本当に「純粋な女の子」なのかは定かではないよなぁ、と思いましたです、はい。
でもまぁ、女性の皆様はお気づきの通り、男性が言うところの「純粋な女の子」って、ほとんど98%くらいの勢いで「演技」だよね、あは(苦笑)。