彼が珍しく真剣にテレビを見ているな、と思ったら
「情熱大陸」に
菊地成孔氏が出ていた。
彼と私は音楽の趣味はかなり違うので、私はジャズのことは全然わからない。。大御所と呼ばれている人は知っているし名盤は聞いたことあるし、良いなとは思うけれど、そういうのじゃなくて、ジャスという音楽の“構造”が体感的に好みではないというか何と言うか、そういう意味で「わからない」と思ってしまう。要するに、短く言えば、わたしの“リズム”ではない、のかもなぁと、体感的な意味で。
というか、私は、菊地成孔氏の音楽、ではなくて、文章、のほうが好きである。番組の中でも「あけっぴろげ」と評されていた
菊地成孔氏のウェブ日記なんて、“構造”を練りすぎて結局は“構造”に踊らされて平坦な物語をつくってしまいがちなよくいるダメ小説家とは正反対の、五感に響く立体的な美(要するに、これが音楽ってことなんだろうなぁ。そういう意味では、文筆家こそ音楽的な要素が必要なんだろうな、ふむ。。)を感じてしまうし。
というか、菊地成孔氏が格好の良い人であることに関しては間違いはなく、私も真面目に番組を見てしまった。氏は、いわゆる「不安神経症」だったらしいけど、正直、そうじゃないとああいう文章も音楽も声も解釈も出てこないよなと思ってしまった凡人な私であった。。
で、すごく納得したー、と言ったら、彼もそう思ったらしく、「うん、ニブいフリするのって疲れるもんなあー」とのこと。他の人には突飛な発言にも聞こえるかもしれないけれど、よくわかりますよ、それ。
というコトで、不安神経症とまではいかないし、音楽の趣味は異なるけれど、「外では自己防衛のためにニブいフリをしつつも実は非常に神経質」という、どうしようもなく根本的なところが共通点だねぇ、「お互いの領分への了解」への前提として「異のための根本的な同」は必要だしねぇ、という話をして、今日も平和に終了。。