As changeable as the weather...
久しぶりに妹分のなお。さんへ。
弱音をその弱音ができるもととなった出来事や関係者にそのまま言う。という単純な事を躊躇う自分や、戸惑うのを正常とし抑圧するのを良しとする世間の価値観に僕は時々弱音を吐きたくなる...。その出来事と関係のない誰かに弱音を聞いてもらう事で解決したつもりになるのではなくて、弱音の連鎖を止めるために何かしたいなあと思うんだよなあー。
こういう時はどうしても死んだ親友の事を思い出してしまうという悪い癖が出てくるもので。あの男は正しかったのだなあと思うんですよ、ある意味ね。もしも世界の仕組みを完全に理解してしまったとして、その仕組みの上で動き回る自分自身に意味を見出せなかったとしたら、それはそれで凄く正しい選択なんだ、きっと。僕はといえば。もしかしたら理解しているのかもしれないし理解していないのかもしれない。この曖昧さに支えられて生きているだけのような、そんな気もしないでもない。煙草を吸い続けているのもこれが関係しているような気がする最近特に。
別に生死の話をしたい訳ではないのだけれど。こういう日はそんな事も思うというだけの事。
でも。いろいろあるしいろいろ思うけれども。僕はまだ経験してみたい事が残っている訳でw。昔のように何の疑問も抱かずに目標へ突進できる無知ゆえの勇気もないし、既知になった事を邪悪な目的で利用する勇敢さも残っていない。そんな自分に時々頭が痛くなるものの。過去の例と同じく何かを無くしては何かを再生し続けるだろう未来の自分自身を夢見ている自分がいるのも事実な訳で...。
こういうどっちつかずの自分に呆れつつ、晴れた空を見上げてみれば、さっきまで晴れていたはずの空が曇り空になっていて「ああ、空も気まぐれなんだから、まいいのかもなあー」と(苦笑)。晴天の日もあれば曇りの日も雷の日も大雨の日もあるという至極当然の事実を、僕は忘れていたような気がする、今日という日の朝から午後まで。By Y