人生という物語の創造のプロセスとしての転機(近畿大学教職教育部 教育論叢13巻1号掲載)という論文を昨夜偶然発見して気づいたんだけど、どうやら私は「空白の期間」(または「ニュートラルゾーン」「名づけられていない場所」「この世の空白の場所」とも呼ぶらしい。)というのを通過したらしいよ。。
上の論文から引用すると、わかりやすいのはこれかもしれず。要するに、「より安定した前向きさ」を獲得したらしく、気分爽快なのであるよ。
例えば,かつて仕事に邁進していた人が,自分のしている仕事の意味が分からなくなり,他の仕事に手を出してみたり,いろいろ迷ったあげく,再び自分の仕事のやりがいを見出して,前向きに仕事に取り組めるようになったとしよう.
そのように迷ったあげく手に入れた前向きさは,迷う前に仕事に邁進していた前向きさと同じものであるとは言えないだろう.それは,危機を乗り越えた自信や,なにもしないことのしんどさや,客観的に(一歩離れて)見た自分の姿や,明確化した仕事をする意味の付随した前向きさであり,表面上は同じ「前向き」という言葉でも,その前向きさを支える土台が大きく異なるのである.
転機後の前向きさという氷山の一角の下には,その何倍もの隠された土台があるのである.転機後の前向きさは,より安定した前向きさなのである.
で、この日記を書く、ということも、この論文によると、転機のプロセスの「5.転機の語り」というのに相当するのかもなぁと思った。。
ということで、とりあえず「空白の期間」の「終わり」を体験したという日記でありました。ふむ。でも今はまだ、「終わり」の「始まり」。なので、これからの「始まり」から「終わり」までの期間に、もっとすっきり爽快に、自然でゆったりとした気分になれるように、「こうありたい」ではなくて「こうしたい」と感じるまま反応していこうかなぁと思いますです、はい。