以下、普通のほざき。
『木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか』を注文したついでに、
『家族依存症』(斎藤学 著)も買ってみた。(あ、でもまだ届いていませぬ。読んだらまたほざくと思います、はい。。)
最近どこかで、日本の家族も8割が「機能不全家族」(例えば、
このページとかに説明あり。)だというのを読んで、こっち系のことが気になっていたのである。私自身はアダルト・チルドレンの定義には当てはまらないものの、多かれ少なかれ日本で普通の家庭に育てば、何かしらは「機能不全的な」要素があるにはあるのでありましょう。
それに、もしかすると、何かの拍子に自分が親になってしまう可能性が高い年齢になったこともあり(この年になり、かつ子供を育てるだけの金銭的余裕があれば、結婚云々ではなくて、選択肢としては「産む」になるでありましょう。)、自分自身の問題を処理しないことには、先に進めないな、とも思ったりもする、最近。
ついでに書いておくと、できちゃった結婚を否定するつもりは更々ないのであるが、自分自身が機能不全家族で育ち、かつそれを認識しておらず、そのまま自分の子供に同じことをしてしまう親が多いというのは事実であり、どっちにしろ、自分自身が受け継いでいる文脈を処理しないことには、結果は思わしくないことは既に明らかにされている。
ということで、明らかにされているわけなので、ここは素直にそれを所与とした上で、自分の成り立ちを考察してみようかと思った次第であります、はい。
というか、うちの場合は、両親の両親が博打的人生を歩んだためか、それに反比例して私の両親は硬めの人生を歩んでいる。正確に言えば、硬めの職業を選ぶことで、自分たちが潜在的に持っている博打的な性質を上手く守っているような感じがする。
なので、私自身に硬めのそれを求めているわけではないし、いわゆる親の期待というものを押し付けられたこともそんなにないのだが(反抗して中学受験止めたりしたのがよかったのかもしれず。)、なんていうか、自分だけの思い込みなんだろうけど、「硬めじゃないと悪いかな?」とは時々思ったりもする。。というか、このまま書くと長くなりそうなので、まとめると、自分の成り立ちを認識し、不備があれば修正することでマトモな大人になろう、と思うわけであります、最近特にw