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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2005年05月21日(土)
父から学んだ「勘違い」のしくみ。


以下、昨日書こうと思いつつ、ドサクサにまぎれて忘れそうになっていたことを日記化。

早朝は、父とふたりで話すのが日課になりつつある。私はたいがい朝の4時半から5時のあいだに起きる。で、コーヒーを淹れるためキッチンへ行き、そのまま朝食を用意してリビングでコーヒーを飲みながらみんなが起きてくるまで新聞を読んでいる。その時間帯にちょうど父が起きてくるので、なんとなくふたりで話すことが多くなるのである。

というか、もともと父とは仲が良いのだけど、会話が増えた分、以前と比べると何かが変わった気がする。

たとえば、父が仕事の愚痴を話すことが多くなった。愚痴といっても、詳細に何かを語るわけではなく、その多くは抽象的なレベルだし、その8割は笑えるネタなのであるが、私が高校生の頃には聞いたことのない種類のネタであることは確かである。

そして、収穫が大きかったのは、父から「勘違い」の生成に関してヒントらしきものを学べたことかもしれない。

というか、そもそも、私の父は、「勘違い」を招く可能性のある文章を書くのが得意な人である。で、どうやら、論理性では私のほうがマトモだということにようやく気づいたらしく、最近は、原稿や書類のチェックを頼まれることが多くなった。(→ちなみに、私は小学生くらいから、父には論理的構成力が無いことに気づいていたので、「私はもう少しマトモになれるように努めることにしようw」と心に決めていた。ある意味、父のおかげであるよ。)

昨日の朝に見せてもらった文は、文章を並列して書きすぎていて、一体何がメッセージの“核”なのが不明な文であった。それに、フェミニストの方々が見たら「はぁ?何てコト言ってるんだよ、セクハラ親父めw」と突っ込む余地盛りだくさんの記述が3行あった。

ので、そういう意味で書いたのではないことを本人サマに確認した上で、もちろん削除しておいた。(勘違いを招く表現は直すのではなく削除してしまったほうが良いのである。)

で、読んでいて気づいたのだが、どうやら父は、論理的構成力がないだけではなく、単語の“軸の意味”と、その軸の周囲に広がっている“意味空間”が掴めていないようなのである。

例えば、100人の人が同時に、「りんご」という単語を目にしたとする。赤いリンゴを思い浮かべる人もいれば、青や黄緑色のリンゴを思い浮かべる人もいるし、もしかすると、「リンゴ」と「なし」を勘違いして思い浮かべているかもしれないのである。それなのに、父の頭の中では、リンゴ=赤い、というように勝手に分類されているようなのである。

そういう意味で、自分の意見を書く、という行為は、言い換えれば、『自分の言いたいことに添うように、相手の脳内イメージを上手い具合に“限定”する』という行為と言っても良いのであるが、どうも父はそこらへんの「気遣い」というか「想像力」が不足気味である。

ということで、父を通して、「勘違い」が生まれるプロセスを学んだ、という日記であった。。
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