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『壊れた窓理論』を読んで。
「 そりゃあ、女ももっと男に優しくするとかね」というような「男」の問題を話しているのに「女」へとその責任を転嫁する手法とか。
「でも、俺、そんなに女を支配していないけどなあ……」というような「男」の問題を「自分」の問題だと勘違いしているような発言とか。
そういうのって、世の中にはすごく多いし、その場では曖昧に「ですね」と言うことが日本では「普通」だと思われているし「お上品」だとされている節があるけれど。そういうのが積もり積もって、「私的制裁」を許すような土壌が出来てきたのかもしれないし、いわゆる「論理的思考」が欠落してきた原因なのかもしれないな、と思ったりする。
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最近のニュースを見ていて思うに。「安全」を得るコストがすごく高くなっている現代日本であるが、一体どこまでをパブリックなサービスとして提供するのかをはっきりと宣言しないと、曖昧なグレーの領域で儲けようとする企業が増えてくるんだろうなぁ。
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ということで、とりあえず、平和な世界を望みまする、アーメン。
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日経平均がどうとかあそこの株価がどうとか増配だとかどうとか。そういうニュースを集めつつでは実際どうしようかなあと考えつつ、気分転換に日記を書くとか。で、次いでに友達とメッセンジャーで話すとか。で、「明日3こ下の子とデートなんだよねぇ♪」という話を友達に聞いて「いいねぇ、若返りだねぇ♪」とかおばさん臭い会話をするとか。。
あまりにも日常的であるが故に希望という言葉へは収束することを躊躇する、そんな、ささやかな希望の欠片に支えられて何とかやっている。そんな気がする、ここ最近特に。。
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ああ、儲けたいなぁと思う、爆発的に儲けてぇーーと思う。あ、たぶん、こういうこと普通に言うから「変人」とか「激しい」とか言われてしまうんだろうな、ふむふむ。。
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目に映る風景が変わっていくのを眺めつつ、こういうフレキシブルで無責任な生活を送れるのって良いものだなぁと思った。
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何がどうとか、あれをこうすればこうなる、とかじゃなくて。
人として、魅力的な人になりたいと切実に思った。と同時に、
なんだ、「夢」ってこういうことだったのか、と腑に落ちた。
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あ、今、私ね、贅沢な時間を過ごしているのだよ。贅沢な孤独の時間を。