以下、最近思ったことを色々と日記化。
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「男が女を選び、女が男を選ぶことの中には、
選んだその人の全人格が現れている。」
(愛子の女大学、佐藤愛子)
という言葉について思いを巡らしてみた。とすると、相手を観察することで自分の選好が解るのかも。と思いつつ、ソファで寛ぎつつテレビ見て「ひゃひゃw」と言ってる彼を眺めてみた。なるほどな。。。と思えた。
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“特に男性にとっては、同棲は「便利なライフスタイル」”、という記述を読んで。うーーん、何故今あなたがそういう考え方を“選んでいるのか”、そこへと至るまでの過程を考えてみると色々とわかるかもしれないし、そっちのほうが興味あるかも。
これ偏見かもしれないけど勝手に思うに、そう思っていることを対外的に表示することが、「お上品だと思われるコツ」だと思ってるような雰囲気を感じたのであるが、気のせいなのかな、ふむ。。
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久しぶりにラブレターをもらった。
「stillじゃなくてagainなのがポイントなのだw」そうだ。
変化していくことを前提とした“again and again”って、“I still love you"って言われるよりも嬉しいものかも、しれない。
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というか、今、急に思いついたのだけれど、「無知のフリをするという知」って、すごく大事ですよなぁ。それを極めたいと思う。少なくとも経済的に自由になれるまでは、「無知のフリをするという知」こそが、「知的欲求」を守ってくれるんだと思う。
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というか、人の性質に対して「断定」できることなんて何もなくて、人の性質って単に「相互作用」によってどうにでも変化するもの。なんだけれど、なんでそれを知りつつも、「断定」できることorすること=優れたこと、という解釈へと捻じ曲げなくちゃならないのだろうなぁと思う、資本主義の現場って。。
人をヒューマンリソースと看做すことまでは、どうにか同意できる。けれど、人=資源、が転じて、人=管理可能なモノ、になっているような感触を受ける。たぶん、「わかりやすいもの」=良いもの、っていう風な、短絡思考の人たちが資本主義的世界の中では有利な立場にいる、ってことなのかもしれず。そんな最近であるよ。。
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もしかすると、すごーーく遠くから眺めてみれば、「親は素晴らしい人なのに、子供の方は……」と思う人もいるかもしれないし、また違った視点から見てみると「あんな親から、よくこんなに出来た子供が生まれたもんだ」と思う人もいるんだろうな、うちの家族のこと。。
でも、まぁ、我が家の場合は、「子も子なら、親も親」のパターンだな、と思う。。というか、基本的にうちの家族は“外形上は”まともに見えてるようだし、自分自身も「まともといえばまともだな」と思う。んだけれども、マトモはマトモなりに問題があるんですよなぁ、そのマトモさ故に。。
で、一番の問題はたぶん、「マトモを保持しようとする志向性」かな、と思う。そのマトモな健全さこそが、ちと毒なんだよねぇ、こういう子供が生まれちゃうとさ、マトモな子供が生まれた場合と比較すると、「マトモを保持しようとする志向性」こそが、障害物になるものなんだよな、ふむふむ。
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というか、いきなりまとめますと、個人的には過去の経験上、子供の特徴を早期に発見し、その特徴を伸ばすことを重視する、で、勉強というモノは、その特徴が花開かなくなったことが判明した場合の第2の選択肢、という感じの子育てが良いのかな、と私は思うのであるよ。そのほうが、いろんな意味で幸福だな、と思う。
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うなされて朝早〜〜く起きた。
何と言いますか、どうも過去に出会ってしまった“勘違いな人たち”(心の短小くんを数名含む。もちろん例の短小センセイも含む。)の言動などが、時としてフラッシュバックされるのである。
別にそういうトンデモナイ方々というのは、この広い世の中には予想以上にいらっしゃるのであろうし、いちいちトラウマになどしていられないのであるが、どうしてもたま〜〜に、思い出してしまうんである。
なんというか。。私が出会った“勘違いな人たち”は、とりあえず犯罪者でもないし“勘違いな人たち”という表現のレベルに収まってはいる。んだけど、それでもこれだけうなされるなんて、犯罪に巻き込まれた方々の苦悩を想像すると、それってすごいことだよな、としみじみ思う。トンデモナイ方々に、どうにかしてマトモな世界から出て行ってもらうことは出来ないのだろうか、とマジメに思ってしまうよ、最近の事件とか見てると。
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ポイントは「秩序への欲求」をどの程度削減できるかなのかもしれず。心理学的に言っても、人間は一貫性があるものへ惹かれる。で、どっち道、思考というものは、時間とともに、一貫性という秩序へと収束してしまうのだが、思考が秩序付く前にどのくらい無秩序の中にいられるのか、が、多分、市場で勝つポイントの1つなのだろうなぁと思った。で、もっと言えば、「無秩序への耐性」があれば、狂わずに済むんだと思う、たぶん。