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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2005年05月09日(月)
「彼女の恋」に「恋」をする。



どうやら私は、昨夜から何かにつけて何度も「恋って良いなぁ〜」とほざいていたらしい。。ほとんど無自覚に、である。で、それをずっーーと聞いていただろう彼はあきれたのでありましょう、「いい加減恋に恋してる発言はやめなさいよ〜」「『脳と仮想』もう1回読んでみなさいよ〜w」と言われた。。

で、「というか、それ解っててほざいてるんだからイイでしょうに〜」と返したところで思うことあったので日記化。以下、今回わたしが「恋って良いなぁ〜」とほざくきっかけとなった「彼女の恋」を、第3者である私が思い浮かべる時の脳の動きを科学的に。。

まず、「恋って良いなぁ〜」とほざくときに思い浮かべる「恋」。って、自分の経験や知人友人の経験や読んだり観たりした何か、要するに、“過去” の「記憶」の総体を軸として形成された“恋らしきもの”が、何かをきっかけとして自己の脳内に鮮明に広がる場、つまり、脳内での意味空間そのもの、なのでしょうなぁ。

要するに、クオリアや脳科学研究の結論そのままに、「恋」は脳内現象であって、煎じ詰めれば、私が「恋って良いなぁ〜」とほざくときの「恋」というのは、“私”という脳の主観的な好みを反映した脳内映画館もしくは脳内文学みたいなもの、であって、自己完結的なのである。

だからといって、「恋に恋する」のがダメとかじゃなくて、「恋らしきモノを脳内で映像化してそれを恋だとみなすと、脳内で化学反応が起きて気持ちよいんだなぁ〜♪」という科学的現実を見据えた上で、「恋に恋する」メカニズムに身をゆだねるのは楽しいものだなぁ、と思うのであった。。

というか、今ふと思ったけど、「恋に恋する」の「恋」って、あまりにも演劇的でゲーム的な感覚を受けるけれど、それでいて決定的にインタラクティブ性を欠くものなんでしょうなぁ、だって「恋に恋する」のって自己完結的だから。。要するに、「相手」の動きが予測可能である(と思い込むことが許されている)というのが、「恋に恋する」の恋であって、「恋」ではないのかもしれないですね。。だからきっと、「恋に恋する」的な発言って我がままに聞こえて、「やめなさいよ」って言われるんだろうな、ふむふむ。。
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