少し前に、愛読させて頂いている日記で、「ある男性が妻がいるのに浮気したらしい。」という件に関して日記をお書きになられていた。で、書き手の方は、こういう面でも「リスク管理は大事」と書かれていて、私はその意見に激しく同感したのでありました。
で、その日記を読ませていただいたことをきっかけに、自分の潜在意識下にあった「浮気」についての考えを深めることができた。ので、以下、「浮気」というモノをどう考えるかは各人によって異なるという前提の下で、思いついたまま、私の考えを軽くまとめておきまする。
結論から書くと、結局のところ、私という人は、相手が浮気してもしなくても「どっちでも良い」と思っているようなのである。別にそこまで大きな問題だと思っていないというか、何と言うか。私個人が相手に満足している限りにおいては、「どっちでも良い」というか何というか。よって、相手を選ぶ基準の中に、「浮気をしない人」というのは条件として含まれていないのかもしれず。(と、今回初めて気付いた。)
がしかし、「どっちでも良い」とは思ってはいるのだが、なるべくならそういった問題は起きないほうが良いとは思っているし、問題が起きてから解決を目指すよりも問題を「防止」する方が重要だとも思っている。また、そういった問題が発生していることを第3者を通して知るのも問題だなぁと思うのである。
特に、最後の「第3者を通して知る」の場合は、問題の発生とその是非を問う以前の段階で、相手と私という当事者間で問題が共有化されていない、コミュニケーションが不完全である、という状態があった、ことを意味する。よって、これこそが真の問題だと思うんですよなぁ。。
なので、浮気するorしないという意思決定は相手に完全に任せるとして(→というか、そもそも、しないように強制したとして、結局その場でどうするかを決めるのは相手なので、意思決定を任せるも何も当然のことなのであるが。)、相手には事後報告ではなく「“事前”報告を求める」というのを慣しとしてるのかもしれず。
具体的には、「やるときは、少なくとも、やる“10分前に”電話するように」「事後報告、第3者を通しての報告の場合は、無条件でそのままお別れとなりますのでw」と言ってある。(→今現在も交際中。よって、今のところは事後報告も第三者経由の報告もなし。ちなみに事前報告もなし。)
うーん、後は何でしょうなぁ。今思ったけど、根本的に、「浮気」=「隠すもの」という発想そのものが、なんか暗くて好きじゃないというか何というか。。(あ、これが、「“事前”報告」に繋がっているんだろうなぁ、私の脳内では。と今気付いた。。)
と、色々書いてみたけど、「どっちでも良い」と言いつつ、いままでの経験上は、浮気されたことは無いということになっている(→相手の主張という根拠しかないので断定はできない。)というのも不思議といえば不思議である。
■□■□■そのほかのほざき。■□■□■
以下、上で、“「どっちでも良い」と言いつつ、いままでの経験上は、浮気されたことは無いということになっているというのも不思議といえば不思議”と書いたことに対して、彼が意見をくれたので、ポイントだけお知らせ。浮気癖のある男性とお付き合いしている女性は、ぜひ“自由度”を与えてあげてください。効果あるかもですよ、あはw
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もしかすると、勘違いを起こしてしまう可能性もあると思ったので本論の前に前置きしておく。まず第一、僕はいわゆる「浮気」というものをする気もないしそういう予定もありません(笑)。では本論開始。
(中略)まず「どっちでも良い」という自由度を与えている。言い換えれば、相手に行動の選択権を完全に付与しているので、営業・交渉の場合と同じ効果が得られる。詰まり、自由度を与えることによって相手に主権があるように“見せかける”ことに成功している、ということ。
この心理によって、「浮気は隠すべきこと、してはならないこと」という刷り込み・先入観が相手の中で崩れる。と同時に、相手は「浮気」という行動の善悪ついて“自分の頭で考える”必要性が生まれる。最終的には、相手は、浮気は軽率に実行するようなことではない、という考えに至る確率が高い。
さらに、相手が実行しようと試みた場合でも、実行する前に「事前報告せよ」という君の言葉を思い出すことになる確率は高い。この後の流れはその時の相手の心理によるが、「事前報告」した場合は、「事前報告」した時点で気が変わり「浮気」中止の確率90%以上。逆に、「事前報告」しない場合は、第3 者経由または事後報告、どちらにせよバレるのは時間の問題であるので、この場合、浮気の実行は「破局」を意味する。よって、相手は「破局」を覚悟しないことには実行できないという結論に至ることになる。
うーん。結局は、単純に「浮気は駄目」と駄目出しされる場合よりも、「浮気」という行動への誘惑心が無くなるという感じなのかなあ、駄目といわれるとしたくなるのが人間心理らしいので(苦笑)。
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ふむふむ。以上、「当事者」による「当事者」による自己の心理分析であった。(→要するに、考えるには考えてた、ってことですね、ふむふむw)で、これらの分析が正しいと仮定しますと、やはり、相手の判断にゆだねる、という今のままのやり方で良いのかもしれず。まぁ、そもそも強制してどうなる問題でもないし、やはり、「どっちでも良い」としかいえないような気がしますなぁ、ふむふむ。(ということで、現状維持決定w)
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