以下、某SNSの某コミュニティ内の発言を参考までに引用。
「今やっている仕事は、肩書きだけ言ったら、ほんとうは子供の頃の自分や3〜4年前の自分が望んでいた仕事なのに、ぜんぜん、ぜんぜん、満足していません。なので、30くらいになったら、肩書き抜きで、世間体とか気にせず、毎日自分が満足のいく最低限の生活ができることを願っています。」
30歳って去年くらいまではちと遠かったけど、最近もうすぐなんだよなぁと思うようになった。同時に、30歳の自分、というのも、なんとなくではあるけれどイメージできるようになった。正確には、あと3年半経つとめでたく30歳を迎える計算になるのだが、年上の方々のお話を聞いていると、この3年半の過ごし方によってその後の生活の充実度が異なってくる、ということらしい。
確かに振り返ってみれば、特に22、23歳の頃は、上で引用した文にあるように「肩書き」や「世間体」というものを気にしてはいた。(私でさえ気にしてたんだから、当時の同級生達も全く気にしてない人はいなかったんじゃないかと思う。今思えば、だけど。。)けど、そういうのはすっきり抜け落ちたなぁとしみじみ思う。(→院生時代の暗黒の最後の1年間が効いたのかもしれず。。)
というか、今、ちと2分くらいのあいだ、上の引用文中にある「毎日自分が満足のいく最低限の生活」というものを私なりに考えてみた。結論から言えば、今現在も「毎日自分が満足のいく最低限の生活」を送ることができているように思う。ので、現在地点における不足部分を考える、という問いへと変更。
で最初に思ったのは、趣味領域をもっと充実させたいなぁということであった。例えば、絵とかダイビングとかサーフィンとか。今なんとなくやっている趣味を、30歳を迎える頃にはもう少し極めていたいなぁと思う。それに、他にやってみたいこともあるし。(例えば、旅行も趣味だけど、アフリカなど足を踏み入れていない大陸にも行ってみたいし。)
ってなコトを思うに至ったのはたぶん、
フリーダイビングトレーナーの菅原真樹氏のインタビュー(→ewoman.co.jp内へリンク。)を、これを考える直前に読んだのが大きいのかもしれず。。インタビューの中にあった
「自分が一番弱い生物になって海に入りなさい」「自分が常にニュートラルであるっていうことが、たぶん、海の中で学んだことの一番重要なこと」という箇所にかなり共感を覚えたので。
上記2点は対象が何であれ当てはめることが可能な心構えの一部だし、こういう気づきを幼い頃に得られたのは、私の場合、やはり海辺で育ったコトが大きいのかもですわ。この点はホント両親に感謝であるよ。
そういえば、昨日読んだビジネス書に、
「子供は砂場ではなく“砂浜”で遊ばせなさい」、何故なら、小さな枠ではできないことも存在しているという事実を身体で学ぶから、というようなことが書かれていた。今思えば、私の子供時代ってまさにあれだったのかもしれず。
というか、趣味領域以外では、当然だけど、広い意味での仕事スキルの向上ですなぁ。そのために、今年は地道な目標の達成が一番大事。なので、焦らずに、着実に今後の3年半を過ごしたいものである、「損して特取れ」の精神で。。で、小さくても足場と呼べるくらいの足場は持っていたいものですなぁ、30歳を迎える頃には。
★★★その他。☆☆☆
とか書きつつ、まぁ、「楽しいのが一番♪」ってコトですよなぁ。
というのも、以下の言葉を発見し、結局はそうなんだよなぁとしみじみ思ったりしたので。要するに、「最後に残るのは、思い出だけ」ってコトですなw
「そのとき君に残るのは名誉や社会的地位でもなく、お金や尊敬でもない。思い出だけなんだよ」( by 老人ホームのおじいちゃん)(p246)
書籍「きっと、よくなる!」本田健、サンマーク出版(2005/01)