以下、“アンケートおじさん”【茂木健一郎 クオリア日記】より引用。
おじさんが電話を切り、やっとアンケートかと思ったら、また電話が鳴る。おじさんは例によって何も言わずに電話に出る。
「うん、その件ね。わかったよ。うん、これから行く。えっ、今? 新橋。新橋。うん・・・・」
その間、女の子は寒風の中、横に立っている。
私はいたたまれなくなって、席を立った。
コメディーの1シーンになりそうなディスコミュニケーションの瞬間で、もう少し観察していたかったが、そのままそこにいたら、おじさんに、「お前、なにエラソーにしているんだよ。とっととアンケート答えろよ、このタコ!」と怒鳴りつけそうだった。
歳末のトラブルは避けるべし。
コンテクストの中で、弱い立場にいる人に対して傲慢な態度をとる人間の性根は、理解したこともないし、これからも理解しようとは思わない。ひょとしたらそういうやつらが日本をダメにしているんじゃないのか。
“アンケートおじさん”【茂木健一郎 クオリア日記】より引用。
例えば、現在流行中のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)って、リアルな社会での人間関係(=コンテクスト)をウェブに乗せることで可視化しようとする試みでもありますよなぁ。
要するに、「誰が誰と知り合いか」がウェブ上で地図化されることで把握しやすくなるワケですわ。私も参加してるSNSあるけれど、実感としてもそうですし、こちら(SNSの日米比較を詳しく知りたい方はどうぞw)で説明されているように、日本では現在のところ「遊び」という感覚が強い感じがします。
で、アメリカの事例などを見てみるに、ビジネスの場面では有益ではあるにはある、んだけれども。それが行き過ぎてしまうと、逆に、コンテクストに縛られて“不自由”になってしまう可能性もありますよなぁ。。
私自身、これ言ってしまうと何なんだけど、上で引用した文の中での、“女の子”の立場になった経験、何度もあるんですよなぁ。。単に、そういう上下関係や顧客志向というコンテクストを含むバイトや仕事だからそうしている、ってだけなのに、何を勘違いしているんだが知らないけど、「人間としての尊厳まで危ぶまれてるよなぁ、コレ。。」というような状況へ持ってく人もいるにはいるワケで。。
だからまぁ、出会った当初に所属団体や肩書きや経歴や年収(またはそれらをほのめかす発言。)を述べなければ、人として対等に尊重してくれない、話してくれない、そういう人たちが世の中には多々いるってコトを実感してはいるにはいる、んだけれど。
けれど、最近特に、他人に理解されやすい属性やコンテクストを離れたその先に、ちょっと大袈裟に言ってしまうと、“自由”な状態、または人間関係、があるような気がしますわ、はい。
■□■その他のほざき。■□■
・と、今日の日記に書いたように私が思ってしまうのは、おそらく根本的に私自身が自由主義者だからなんだろうなぁ。って、この件については、今日、このエンピツ日記に転載しました以下を参照くださると嬉しいですわ。
あ、それと、“リベラル”と“保守”という政治的立場について、誤解している方も読む価値あるかも?、しれませぬ。。
★2004年12月22日(水) 「私」を語るということ。
・悩んだ末、来年の手帳もクオバディスにしましたわ。やはり、継続しなくちゃですよな、ふむふむ。
・それと、トップページが変わりましたのでお知らせ♪ かちゃサン、デザインありがとうございました♪
http://loner.fc2web.com/ですので、ブックマークしてくれている方々、変更よろしくお願いしますw
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