(以下、Mixi日記12月22日のやつを転載。)
「私は〜、」から始まる文は幼稚で最悪だ、という主張もあるにはあるけれど。。(文章教室ではそういわれがちらしいですね、やはり。)でも、その一方で、「私」を語れるほど強力なこともないですよなぁ。
だって、現在の企業社会って、「私」を語れなければ(=アピールできなければ)、採用してさえもらえないみたいですし、採用されたとしても、その後自分がしたいと考えている仕事(プロジェクトなど)に参画するためには、そこでもまた「私」を語る必要性が出てくるわけですし。
自己アピールを求める社会についての説明は、以下URL参照。経済学ならまだしも社会学は全く知らないので、自分で説明するのはパスしまする。。(経済学&経営学寄りの視点からの私の個人的な考えを言えば、現行の「成果主義」は反対ですなぁ、やはり。)
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=7172
http://www.asahi.com/job/special/TKY200412070204.html
で、そういう意味も含めて、最近「私」をより正確に語るためのに必要な、その前作業である「私を知る」というコトに、再び興味が湧いてきたように思う。
で、今日、思ったのは、「私」は、現存している「〜イスト」(例えば、リベラリスト・アナーキスト・フェミニストなど)という呼び名の中で、一体どれに当てはまる&当てはまってるように自分では思うか、ということでありました、はい。
まぁ、要するに、これらを明らかにすることで、現在の自分自身が、意識or無意識問わずに持っている思想体系を、自覚する必要があるのかなぁ、と思ったわけですわ。
まず、上の()内で例示した「〜イスト」の3つの例で言うと、「私」はそれらの言葉が表す意味範囲の中では、“適度に”どれにも当てはまる、とは言える。
んだけど、一般的に知覚されている(イメージされている)言葉の「意味」とその「内容」が異なる場合が多々あるわけで、やはり、正確な言葉の意味を調べる、という面倒な作業から開始しなくちゃ、ですよなぁ、ふむふむ。(→これについては、かちゃさん、昨日はお話ありがとうございました♪おかげさまで思考がまとまりました〜w)
ということで、年が明ける前に終了することを目標に、空き時間見つけて調べることにしまする。
これは思いつきなんだけど、前々から自分がリベラリストであるコトは自覚していたものの、こういう思想そのものが現在の関心(私の場合はマーケット。)へと向かわせた根本的な要因なのかもしれないし。やはり、自分を知る、って深いなぁ、ふむふむ。。
参考までに、勘違いされやすい「リベラリスト」の定義をメモ化。何が勘違いされやすいかというと、アメリカ型の"古典的リベラリズム”=“リベラリズム”だっていう誤った先入観だなぁと思う、以下参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
【自由主義】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
(リベラリズム から転送)
■自由主義(じゆうしゅぎ。リベラリズム)は、個人が自分自身の判断にもとづいて行動することを最大限に尊重する思想。政府をはじめとするあらゆる権力による個人の活動への干渉を排除する。市場経済を重視する。とくにアメリカ合衆国において、無視し難い重要な位置を占めている。
■リベラリズムという言葉の混乱
歴史的用語としてのリベラルという言葉と現在流布しているリベラルという言葉・或いは政治的立場は以って非なるものである。現在使われている"リベラル" の意味は社会民主主義的立場のことを主にさすが、アメリカの根幹にある、"古典的リベラリズム"とは自己責任の追求と権力の不干渉の意味で、またアメリカ人はそのために国を作ったのであるが、その思想の事を現在ではむしろ"保守主義"というふうに呼ばれている。
つまりアメリカ人は"古典的リベラリズム"を "保守している"のであってそれが封建制度の遺産のある、またはそこからの解放(リバレイト)を願ったヨーロッパや日本との違いである。
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