ぼ〜〜〜っとしながらブログ巡回してたら、いいの見つけたのでご紹介。要するに、“幼少期に学んだ&授けられた「役割」(role)が大人になってからも潜在意識下では固定化してしまっている”、という典型的過ぎる事例、ではあるけれども、自分の行動を振り返るためには時々こういうのを読むのも必要だなぁ、と思った。
「尽くしすぎる」「いい人」を演じすぎてしまう心理【カウンセリング・スタイル】より以下引用。
家族の中でいい子を演じなければならなかった人達は、大人になってからも、良い彼、良い夫、良い彼女、良い妻、良い人を演じすぎて失敗してしまうことがあります。そんな彼らの中には自分らしくあることを禁止してきた、我慢しなければならなかった過去の体験が隠されている場合もよくあります。
そういう方の中には、「尽くしすぎる人」になってしまうケースもとっても多いのです。例えば、「尽くす女」は「良い女」と一般的に思われていますが、尽くしすぎて敬遠される女になってしまうこともあるのです。なぜなら、そういう人があまりにも「良い女」過ぎると、彼も「良い彼」にならないといけなくなってしまうからです。
(・・・中略・・・)
こういうパターンを持つ人は、家族の中や身近な人に「ワガママで迷惑をかけていた人」や「そんなふうになっちゃいけませんよ!」って教えられてきた人が多いんです。
すると、自分の感情や欲求がワガママのように感じて、それを出しちゃいけないように思ってしまうんです。つまり、抑圧して禁止してしまうわけです。それが両親から愛される秘訣になるからですね。
でも、「抑圧した感情は外から出るという法則」にあるように、あなたの周りの人達が、あなたの抑圧した欲求や感情を教えてくれます。
男女関係ではパートナーですね。あなたが欲求や感情を我慢して良い子である度合いだけ、彼は欲求や感情を我慢しない悪い子になってしまいます。あなたがワガママを抑圧した度合いだけ、彼がワガママになるわけです。
「彼女は我慢しているのに、俺は我慢していない・・・」
そんなふうに思うと、彼は「罪悪感」を持ち始めます。でも、誰も罪悪感を感じたくありませんから、罪悪感を感じてしまう彼女との距離を取っていく、もしくはケンカばかりになるというような流れになってしまうんです。
逆に言うと、こういうタイプの人は自分の欲求や感情を認めて受け入れていくと、パートナーにも我慢させなくてよくなるわけです。
以上「尽くしすぎる」「いい人」を演じすぎてしまう心理【カウンセリング・スタイル】より。
あ、引用長くてすみませんです、はい。。でもまぁ、中途半端に引用すると意味が通じなくなったりするコトが多々あるので、今後もこのくらいの長さでいきますのでよろしく〜♪
私個人のコトを書くと、自己評価でも他者評価でもそうだけど、上にあるような、いわゆる「いい人」でも「尽くしすぎる人」でもないですなぁ。。だって、そもそも放置主義かつリベラルぎみな教育を云十年受けてきたんだし、こうなるの当然といえば当然といえる。。まぁ、はっきり言ってしまうと、私=「わがままな人」です、はい(苦笑)。
そりゃあ、家族や友達や恋人に対しては、その他のあまり知らない人たちに対してよりは「いい人」だろうし「尽くす人」ではあるだろうけれど(→あ、それでも「わがままな人」には変わりないけど。。)、それは幼少期に学んだ「役割」に基づく行動、というのではなく、あくまで相手との個々の「関係性」を維持する&発展させるために必要な行動だからですよなぁ。
個人的には、「基準」を知るためにこういう“典型的な”事例を「知っておく」のは大事だと思う。けど、それを過度に自分や身近な人のケースに「重ねすぎる」(→過度なステレオタイプ化。)のも問題だよなぁと、心理学の典型事例に自分や他者の人生重ねてロマンティックなドラマに浸ってる人を見ると思ったりしますなぁ、正直な話。。個人の生き方に深く関わる心理学のような分野こそ、冷静に現実的に、取り組まなくちゃならないんですよなぁ、ホントは。。(→だよねぇ、かちゃさん♪O先生、そういう意味でステキw)
引用箇所にあるのは、心理学の文脈で使われている、いわゆる
「ピグマリオン効果」(=期待することによって相手もその期待にこたえるようになるという現象。)と「抑圧」(repression)が根本的な原因になってるんだろうけど、理由はどうあれ、結局は、文中にあるように“自分の欲求や感情を認めて受け入れていく”しかないんですよなぁ。
一般的に言って、過度な「抑圧」や「代償行動」(substitute behavior)を過去に何度も重ねてしまうと、当然のごとく「自己効力感」(self-efficacy)が低下してしまいまする。その結果、自分自身を愛せなくなってしまいますし、自信を失くしているワケですから、そんな自分を好きになってくれる(or 認めてくれる)相手をもまた、上手く愛せなくなってしまう、という悪循環になってしまうんですよなぁ。。
誰にでも、多かれ少なかれコンプレックスや「役割」(role)意識はあるもの。だけど、「自分の欲求や感情を認めて受け入れていく」ことで、それらを「昇華」(sublimation)させていく。それが結局は、自分を大事にし、他者を大事にする、というコトなのかもしれませんなぁ、ふむ。。
■□■関連ある過去の日記。□■□
日常における、実践的な解決方法としては、
「アサーティブ・トレーニング」になるんでしょうなぁ、やはり。ということで、過去日記にリンク。
2004年10月10日(日) Assertiveとはなにか。■□■使用した心理学用語。□■□
心理学用語辞典より、今日、日記で使用した心理学用語をメモ。
http://nao.main.jp/blog/archives/000535.html