あぁ、何だか今日はすごいタイトルを付けてしまいました。。
理由は、昨夜から暇を見つけつつ
書籍『贅沢に、美しく大人の女』(安井かずみ著/1991)を再読したからなのですよ、あは(笑)。
この本、数年前ホステスのバイトをしていた頃、美しい大先輩のEサン(すごーーい美人、でも化粧品は全部
ちふれ御愛用の経済美人でもあるお方♪)に頂いたモノなのである。この本が、言ってみれば、当時の私の“業務マニュアル”の1つだったんですよなぁ、ふむ。
これ、いわゆる
“女性の生き方”(参考までにアマゾンの同カテゴリーにリンク。現在第1位は
『小悪魔な女になる方法』w)と分類される本だし、正直、ビジネス書ばっか読んでいますと、この種本の内容を含む記述が多々あるので(自己啓発本そのままの箇所多々あるし。)、
プレジデントを読み1人感動の涙流しているオヤジぎみの私には、もう必要ないように思っておりました。。
んだけど、「この本って知られざる名著だよなぁ〜。」と、久しぶりに読んでみてしみじみ思いましたわ。「かっこいい女になろう♪」「あらゆる男を夢中にさせよう♪」(苦笑)というような「今風の」“女性の生き方”本ではお目にかかれない「厳しくて“泥臭い”」表現が多々ありましたよ。
たとえば、
「私、絵のことはわかりません」などどは死んでも言ってはいけない。それは美しい大人の女の資格と教養と美しさを放棄することになる。
以上『贅沢に、美しく大人の女』(安井かずみ著/1991)p155より引用。
とか。。「〜死んでも言ってはいけない」とは私は思わないけど、基本的にこれは同感。いつかこの日記にも書いたけど、私は幼い頃がら絵画好きになるような(=させられるような、とも言う。。)環境で育ったこともあり、今だに美術館大好き人間でもあるのですよ(“そう見えない”ように努力してるけど。。)
だからなのか、「絵とか音楽とか全然わからないから。」と言う人よりは、美術を一緒に楽しめる人を自然に友達や恋人にする傾向がある、というコトは自覚しています、はい。音楽できる人は無条件に尊敬していますし。
で、こういった“キツい表現”を目にする度に苦笑しつつ、「やっぱりこの“泥臭さ”が大事だよなぁ〜♪」と、妙に地に足の着いた感情を味わったよ。で、結果として“励まされた”という感じ。読後感は至ってさわやかでありました、はい。では、タメになった箇所を長くなるかも?だけど、引用してみますわ。。
(・・・大人の女には華やかさが重要、と説いた後で・・・)
土台は、その女の人生観が、生活の仕方が、考え方が常に前向きで、愛に満ちていることである。そうすれば、その女がたとえ絹のブラウス一枚でも、華やぎをかもし出せるのである。
逆に、その女の人生観が諦めで、生活が手抜き、考え方が図々しく、愛なんて今更アホらしいなどど、開き直っていれば、たとえ豪華な宝石を身に着けて華美していても、それは私の言う華やぎでは逆の、暗い存在になる。言うまでもなく大人の華やぎとは、ケバケバしさではないし、ヴィジュアルだけではないからである。
華やぎの原点は、コミュニケーションにある。その相手と、あるいはその場において、優しい、いい感じの関係をつくり出せることが、華やぎに最も大切なことである。相手を認め、相手の言うことに耳を傾け、相手を理解しようとする心遣いが、微笑みや、優しい眼差しに現れる。よい感じこそ、よいセンス、よい人柄と相まって、よりよいコミュニケーションになる。
「あの人、いい人ね」という、お人好しとは微妙にして、かなり違うところが、華やぎというソフィスティケイションなのだ。それは内面と外見の総合ムードであり、派手すぎず地味すぎないバランス感覚であり、自分を確かに打ち出しながら、他との調和をも成し得る知性である。
以上『贅沢に、美しく大人の女』(安井かずみ著/1991)p51-52より引用。
ふむ。。無理やりまとめますと、つまり女性にとって大事なのは「なにはともあれ“会話”♪」ってコトになりそうです、はい。でも、これシンプルだけど、ホント“原点”だよなぁと思う。
だってさ、私みたいな(→頭脳も外見も特段優れていない人。)が、当時何とか業務をこなせたのは、会話の仕方や振る舞いを先輩方の仕事を盗み見ながら(OJTですよなぁ、これ。。)どうにか最低限のマナーを教えてもらえたお陰だよなぁ、とホント思うし。
というか、こういうスキルって固定的なものではなく変動し続けるものだし、この終わりのない修行はどこまでーーも続きますよなぁ〜。その覚悟はできているものの、何だか気が遠くなってきたので、今日はこれにて終了。。
■□■そのほかのほざき。□■□
今、アマゾンさんの
“女性の生き方”カテゴリーにあった書評を読んでたら、「これぞ真実ですわ♪」というのがあったので、勝手にほぼ全文コピー&ご紹介。。
結局は、