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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2004年10月11日(月)
いわゆる法的な結婚制度について私見。

(以下、Mixi日記より転載。)

しのぶさん(MyMixi参照)のブログで「結婚」についてのエントリーがあった。で、この件については、しのぶさんと先日メッセで話し合ったので、ココで中途半端ではありますが他で書いてる過去の日記も参考にちとまとめてみることにしまする。

【免責事項】
で、いつもの通り免責事項があります。結婚なる法的制度についてロマンを抱いている方は読まないように♪ (以上。)

では開始。。。


【本文】

「結婚」制度は、そもそも国家がその安定性を保つために作った箱であります。つまり、国家の安定性を一定の範疇で保つために、外から見るとロマンティックに“見える”結婚という法律的制度を発足させた、ということですな。(疑問に思う方は、法律がなぜ存在するのか、という根本的理由を考えてみてください。)時々、調査資料や報道などで「晩婚化」が「少子化」の原因であると誤解させるような表現があるのですが、そういう思考回路をしている以上、国家策略にハマっている証拠でありましょう。

っうか、どうでもいいんだけど「晩婚化」って表現もうなくした方がいいですよなぁ。この単語って日本国民は“いつか必ず”「結婚」するという誤った解釈(注:客観的可能性ではない。あくまで主観的解釈。)を混合していますよなぁ。変ですよなぁ?もしかすると「晩婚化」と名づけられている現象の内にいる方々からみれば、それは「晩婚化」ではなく「無婚化」である可能性も多々あるわけです、はい。

思うに、これは私の主観的な解釈だけれど、いわゆる「晩婚化」が進んでいる原因って、そもそも、過去ずっと繰り広げられてきた血なまぐさい「ビジネスとしての結婚」をしたくない個人が増えたから、とは考えられないのかなぁ?ホントはみんな、もっとロマンティックな関係性を求めていて、そしてまたそういう関係を持つためには何も政府が用意した箱なんて必要としていないように私には見えるのですが。。

っうか、この私の解釈は「その女性の考える結婚とその女性の所属する階層は関係がある」という言葉の前では跡形もなく散るのであるが、まぁ、私と似ている階層・属性・思考・志向を持つほかの女性もまた同じように、法的な結婚制度について疑問を持っているのだなぁと、しのぶさんとお話して思ったわけです、はい。

事実、人との“関係”は流動していく。絶えず動いていく。時の流れとともに相手も自分も変化していく。けれども“夫婦”や“恋人”という創られた記号に包まれた途端に“不自由”を感じることが多々あるらしい、というのもまた先人たちの経験から導きだされるある一定の事実でもあるわけですよな。

で、何故不自由になるのか。たぶん、それは“夫婦”“恋人”という役割は、“関係”が本来は保有しているはずの流動性を減速させ、固定化へと向かわせる性質を内在しているから、もしくは、当事者間でその役割の意味する内容が共有化されていないから、とか。になるのかもしれないよなぁと私は思う。

そういえば以前、社会学者の知人は“代替可能な自分”という概念を説明してくれた。うろ覚えだけど確か「自分という人間は誰かにとって特別でも唯一でもなく、常に入れ替え可能な存在である」ということを意識せよ、って感じの内容でありました。また、この知人は「相手を自分の幸せの道具にしている人」に注意せよ、ってなコトも言っておりました。

はっきり言っちゃうと、そういう人って周りに沢山いるものです。(もしや皆さんの周りにも?)こういう意味・背景を考慮すると、私は、別れてくれるコトも愛だなぁと思ったりする。時には、ずっと一緒にいるコトよりも別れるコトの方が愛情を示す決断であるなぁと。つまり、別れるもしくは離れる自由を内に秘めた関係がナイスだよな、と思うわけです。

また、『恋人』や『夫婦』という他者との関係性を表す記号、そして、この記号が表している関係性の距離と範囲の外にある『その他の人たち』が創造する人間空間は、そんなに変わらないんじゃないかなぁと。特別に“見える”関係と特別には“見えない”関係。それって、そうした名前があるってだけでその関係性が内包する“愛情” や“想い”は常に入れ替わる可能性があるよなぁと、思っていたりもします。

“愛情”や“想い”に人は名前を付けたがる。そうしたければそうするのも良し。そうすれば安心かも。けど、その名前に縛られるのもまた事実。『恋人』『夫婦』そして大きくカテゴライズすれば『それ以外の人たち』。その違いは、もしかしたら、“愛情”や“想い”の有無やその程度、ではなく、単にそうした“名前があるかどうか”かもしれませぬ。

理解し易い“ラベル”が見える位置にあるかどうか。普通の洗剤をファンデーションの『パフの汚れ落とし』というラベルへと付け替えることで儲けた○○化粧品の成功は、要するに「理解し易い名前を付けた」ということに尽きる。あぁ、ネーミングって深いですなぁ。。

と、色々書いてみたけれど、過去も現在も、私は異性愛者としてオトコと恋愛し、ミミッちい恋愛から大恋愛なるものも経験し、結婚を3回事前中止したりもした。(あぁ、恥ずかしい過去をまた書いてしまった。。あ、でももういいや、カミングアウトw)

けれども、法的な結婚制度についてこう考えるようになったのは、ここ何年かの間に『恋愛よりももっと楽しいコトはたくさんある』というどうしようもない認識に到ったらしい、っうのが本質的な理由かもしれん。。たとえどんなに良いオトコが恋人でも(ご存知の方、やんちゃでアホ可愛くて良いオトコだと思うでしょ?あはw)私には常にその人の存在を超越する対象があったりする(まぁ、要するにマーケットなんだけれども。)

つまり、凝縮してまとめると、人は他者に「役割」を与えたがる。けれど、むしろ、その「役割」以外の部分、大袈裟に言えば「あるがままのその人そのもの」を認めてくれる誰かを、心の友、友達、恋人、というような名称で呼んでいるだけなのかもしれないってことかもしれず。(あぁ、ネーミングってやっぱり深いですね、ふむ。。)

っうコトで、当初予想したとおり、意味不明な文になってしまいましたが、とりあえず失礼w

******************************************************
以下、頂いたコメントと返信をメモ。

#Iさまより。
どこまでスクロールが続くのか怖くもあり、快感でもあり(笑)
あ〜、ラベリングして安心したかっただけなんだなぁ。
今の関係でも十分楽しいのに。2004年10月12日

#Mさんより。
いろいろと共感する部分はありますが、ひとつだけ・・・。

>“愛情”や“想い”に人は名前を付けたがる。そうしたければそうするのも良し。そうすれば安心かも。けど、その名前に縛られるのもまた事実。

感情や関係性への名付けについては、かつて大澤真幸の『恋愛の不可能性について』を読みながらウンウンと考え、今も継続して考え中です。

たとえば、ある人の「彼女」になると、周りからも「彼女」として見られ、自分でも「彼女」役割を遂行しようとしてしまう。その拘束感がとても息苦しいんですよね。だから、今のところ「彼氏」はいらないと思っています。相手のことがどんなに好きでも「彼氏-彼女関係」にはなりたくないので、築くのは「名前のない関係」。

「名前のない関係」は上手くいくかどうかわかりません。そのうち気が変わったら、一事例として変化の様子をお知らせします。しばらくは変わらないと思いますが(笑)2004年10月12日

#Sさんより。
>「晩婚化」ではなく「無婚化」である可能性も多々
> あるわけです、はい。

晩婚化は国家の都合のいいラベリングではないかとも思います。「少子化」も出産グラフを見る限り、少子化が問題ではなくて第3次ベビーブームがくると思っていたら当てが外れ、その読み間違いの責任を誰も取らなかっただけではないか、と。私は昔、事実婚でいこうとしてそれに相手が耐え切れず(笑)
解消となりました(笑)。

事実婚を心配していた私の親は籍をいれさせようとしました。親が私に言ったのは「子供がかわいそうじゃないか」。で、いってしまいました。
「かわいそうというのは差別を前提にする言葉だよね」。
「世間様」は崩れているのに「世間様」以外ににすがるものがないからだと鴻上さん(第3舞台の)は言われてましたが、それに同意する私です。2004年10月13日


#なお。(返信)
Iサン。
過去日記を編集しただけなので、長いかなぁと思ったのですがやはり・・・(笑)ラベリングってホント微妙ですよね。そうしたところで安心できる箱に入ったことなるのかなぁ?っていうのが私なりに納得しきれていない問題かもしれません。

Mサン。
役割名を付けられることで不自由になるというのはよくわかる感覚です。ただ私の場合は、私以外の他者が彼をいわゆる一般的な意味での「彼氏」と認識していたとしても、私と彼が関係性の中でお互いの役割を時間の変化とともに工夫して最適化させていけばいいだけなのかもしれない、と思っています。他者からどう認識されようが、少なくとも自分たちの関係の中でだけは「名前のない関係」でいられたら最高ですねw

Sサマ。
>「かわいそうというのは差別を前提にする言葉だよね」。

その通りですよね。最近、意識というか認識の成立過程について考えていたのですが、いわゆる「世間様」にすがることで自分で考えることをせずに楽をする、ってのはやはり長期的に見ると危険だよなぁとしみじみ思ったりしておりました。事実婚については、やはり相手次第ですよね(笑)私もまぁそんな感じで解消、みたいな(笑

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