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Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
2004年10月10日(日)
Assertiveとはなにか。
(以下、Mixi日記より転載。)
(久しぶりに内省的な日記をダラダラ書いてみる。ふむ。。)
Y様が「Assertiveとは言い切れないがAssertiveになる予感がした」と3年くらい前の私を評してくださった。Assertiveになる予感、ってかなりの褒め言葉だよなぁ。当時23歳くらいだったんだよな私。(あぁ、若かった。。)正直かなり照れた。同時に、今現在もAssertiveとは言い切れない自分について、なんだかなぁと思ったりもした。で、なぜなりきれないのかなぁと、過去の自分へと意識を戻して、次にそこから戻って今現在の自分の成り立ちをちと考えてみた。以下、いつもどおりダラダラ考えながら書く。
うーん。。3年前の自分。。
まず、恥ずかしいけどひとことでわかり易く言ってしまうと、ストイック過ぎたと思う。当時は無理してたように思うんだよなぁ。。あの頃の自分について書くのって恥ずかしいけれど、まぁ、そんなこと言ったって私という人は書いてしまうんだよなぁ。。(まぁ、つまり、自分をごまかすってのが苦手なのよ、だってまず気分的に落ち着かないし、自己批判なしでごまかしていたら投資関係の諸所の仕事・研究なんて不可能。)
自己評価では、他者に対して優しくなかったと思う。というか具体的にいうと、他者に対する要求が厳しすぎて(あ、仕事というか研究の面で。人間関係は昔から甘甘。。)相手にストレスを発生させていたように思う。
つまり、モチベーションが高い(というか日本基準では常に高すぎる)というのが私の特徴であり、相手によっては美点でもあり欠点でもあるということなのだよなぁ、たぶん。要するに、当時の自分を現在の自分と比較して相対評価すると、自分のモチベーションを基準にして他者を評価していており、典型的な“認知の歪み”が見受けられる。(まぁ、自分勝手、ってことだな、こりゃ。。)
ちと脱線するけれども、投資と認知科学の過去知識からの私の解釈では、“認知の枠組み”が適切である、つまり、過大でも過小でもなく、“その人にとって”ニュートラルな状態に保持することができたなら、いわゆる精神病にはならないし、投資で損しても過剰に打撃を受けることもない。さらに、人間関係の変化が起こった場合でも、心理的に過剰なストレスを受けることもない。そういう意味で、自己批判、というか、自分に正直になる、自分を知る、というのは大事だよなぁと思うわけですな、ふむ。
で、この問題に関しては、自分以外の他者もしくはある分野に属する他者、と単純に括って“他者”とネーミングしてしまうのではなく、個々の“他者”をそのまま個々として、ひたすら“見つめる”という方法へを転換することで、今現在ではどうにか改善できているように思える。つまり、自分を基準にするのではなく相手を基準にする、ということ。(あ、でもあくまで自己評価で。。)
あと何だろうなぁ。。(5分間コーヒー休憩。ちと考えてみる。。)
うーーーーん。考えてみたけど出てこないので、Assertiveの定義をとりあえず見てみるわ。。以下、アサ-ティブ ジャパンHPより引用抜粋http//www.assertive.org/01/01_nani.html
『「アサーティブネス(Assertiveness)」の訳語は、「自己主張すること」。しかし、アサーティブであることは、自分の意見を押し通すことではありません。自分の要求や意見を、相手の権利を侵害することなく、誠実に、率直に、対等に表現することを意味します。" また "権利は、自己責任を伴っています。自己責任を欠いた自己主張は決してアサーティブではありません。自分の権利と責任をしっかり認識した上で、はじめて対等で誠実なアサーティブなコミュニケーションは成り立つのです。』
で、具体例としてはこのページがいいかもしれず。
http://www.niji.or.jp/home/toku-f/essay2.html
あ、わかった♪ 再び、アザーティブジャパンのページから引用。 http://www.assertive.org/01/02_houhou.html
『自己信頼感が高いということは、自分のありのままを受け入れられるということです。それは、一人で何でも我慢するのではなく、つらいときには「つらい」と言い、時には人に「助けて」と言えることです。』
なるほど。。課題発見!!!そうしようと意識的には試みてはいるけれども、意識的に、ってことは、まだ完全にできてないってこと。でもこれさ、難しいんだよなぁ。。
『つらいときには「つらい」と言い、時には人に「助けて」と言える』ってのは。。3年前の私の一番の問題点は、まさにこれだったかもなぁ。。と今日、振り返って気づいたので、改善に向けて出発しませう、とりあえず。(注*「つらい」「助けて」を意識的にしばらく連呼するかもしれないので、お友達の皆様、イヤかもしれないけど宜しく♪)
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以下、頂いたコメントとその返信をメモ。
#Yさん
「つらい」「助けて」と私は最近連呼していますが(笑)、かなり楽になりました。楽になればいいというものじゃないけれど。。。ではまた♪2004年10月11日
#Yさま
僕も過去は大分ストイックでしたよな? 先日なおさんにご指摘され改めてそう思いましたわ(笑) でも今は、この前お伝えしたとおり“the greed is the unraveling ”なので自分でも驚いてます。あははw2004年10月12日
#Tさま
俺今でも結構ストイック 2004年10月13日
#なお。(返信)
Yサン。そうですよなぁ。言ってしまうと楽ですね確かにw一回楽な状態になってから、落ち着いてまた始めるってのがいいのかなぁと最近思っております、はい♪
Yさま。お互いそうでしたね(笑)確かにあの頃は私もgreedがメインだったのです。でも今そして今後は、お互いもっと大きな視点からアプローチしていきましょうなw
Tサマ
あはw それ何となくわかるかもw
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