「私と彼女の、一体何がそんなに違ってたっていうんだろう?」と、何かをするたびいちいち考えてしまいます。例えば、食事をしてみれば、彼女の最後の食事はどんな風だったんだろうと思うし、彼女が高校を辞めた理由って、私が辞めなかったのと同じくらい大した理由じゃないよなぁとか思ったり。
「彼女が亡くなった」という知らせを聞いた昨日から、私は、こんな感じで彼女をキーワードに連想ゲームばかりしていて、どうやら結構ショックを受けているらしいのである。
人には死に慣れている人と慣れていない人がいるように思う。私は幼い頃から他者の死にはかなり遭遇してきたので、人は簡単に死ぬし、死って全然ドラマチックじゃなくあっけなさの頂点だし、死に必要以上の意味を与える人って正直アホの極みだなぁって思ったりもするんだけれど、自分と1コしか違わない彼女にあんなにあっけなく死なれてしまうと「死に美学なんてねーよ。」とか脈絡もなく怒鳴りたくなるワケですよ、はい。
脈絡ない次いでにさらに脈絡ないこと書くけれど、死に至ったまでの経緯とか動機とか、そうい要素にムダな価値を与えたがるのってホントに無意味だと思う。死んだんだから死んだ。その動機が高等かどうかに関わらず結果は同じであって、死は死なのに。
って、思いつつも現実は違うのかもしれない。っうか、違う。彼女が亡くなった同時期にある有力者が亡くなった。無名であれ有名であれ、死は死であり同じ価値なのだ、と言いたいところだけれど、とてもじゃないけどそうはいえない動かない現実を目にすると、私は名を成して無意味に死なねばならんと思うのです、はい。
■□■□■□■□■□■そのほかのほざき。□■□■□■□■□■□■□■□
・久しぶりの日記更新なのに、暗い話題ですみませんでした、はい。文中の彼女は私の1コ後輩で、家も近かったせいかなんかヘンな感じなのですよ。今回の彼女の死をきっかけに思ったのだけれど、「人生の分岐点」っていう表現ってよく使われているけれど、ホントは「分岐点」と言えるような大きな「分岐点」ってないのかもしれない。ホントはたった1度や2度のちょっとした「ズレ」なのかもしれんと思うのです。なので、どうせならね、良い方向に「ズレ」ましょうよ、みなさん。
・次いでに書くけれど、ホントに死んでも意味ないから自殺とかやめた方がいいよ。そんなに苦労して死ごうと努力しなくたっていつか自然に死ねますので。かしこ。