ベットに入る寸前に見つけた、
ショッキングなニュース。作家の
鷺沢 萠氏が心不全のためお亡くなりになられたそうだ。少なくとも私にとっては衝撃的な出来事で、眠れるはずも無くこうしてキーボードを弾いているワケで。特別、氏のファンというわけではないのですが、彼女が翻訳した小説、
『愛しのろくでなし』(P.ヒューストン著/講談社文庫)にはかなり思い入れがあるのであるよ。
彼女の死を知ったとき、死という事実に驚くと同時に脳裏に浮かんだのは、この中の短編の1つ、“シンフォニー”の一文でした。
≪話すのが難しい話だ。なぜなら私が告げるべき真実は綱渡りのロープほどの細さの上にあって、そのロープの両側はもう真実ではなくなるのだから。細いロープの両側では、真実ではないものが大きく口を開けて手招きしながら待ち構えているのだから。≫(『愛しのろくでなし』p40)
確か、初めてこの小説を手に取ったのは20歳の頃だった。あの頃私は、この本のタイトル通り、ろくでもない男と付き合っていて、その人と一緒にバリから帰った直後、まさに引き寄せられるようにこの小説を読んだような記憶がある。だからかどうか定かではないけれど、未だにこの12の短編どれもがリアルに私の内面に刻まれていて、恋の始まりにはふと思い出したりするのだよ、特に、上の一文を。
つい5分前、何年かぶりにこの小説をパラパラとめくっていたら、またしても胸のモヤモヤを消してくれる箇所をみつけたり。鷺沢氏があとがきで書いているように、この短編集は奥深くて、氏の言葉を借りれば、この小説の味わいは「片隅で呟かれる数行にある」のだとしみじみ思う。
あ、そうそう。この箇所もステキだ。ただ、過去のあの昼下がり、ではなく夕暮れの思い出そのまま、ってだけなのだけれども・・・。
≪私は十分な教育を受けたし分厚い本をたくさん読んだ。けれど芯のほうではテレビドラマに感動する人間だし、それがこれから変わるとも思えない。単純明快なハッピーエンドがこの世の中で可能かどうか私にだって大いに疑問に思っているけれど、とにかくホーマーとは可能ではないんだ、ということがその昼下がりにはっきり判ったのだ。≫(同著、p75)
(鷺沢氏の訳者としての力量がすごくよくわかる小説なので、機会がありましたらぜひ手に取ってみて下さい。ご冥福をお祈り申し上げます。貴方の言う、愛にいちばん近しいところへ。)