ここ数日、思いっきり睡眠し、かつ実になる書物も読まずに過ごしてしもうた・・・。私自身が冬眠から醒めた熊状態で下界の生活について行けてない、っうのもあるけれど、まぁ、どっち道、気が緩み過ぎですな。しかし、こうやってタラタラと生活した後って、妙に知識欲がみなぎってくるもので不思議ですよな。今日、基本書を読んだりしていたらようやく頭が動いてきた感じがしまする。
っうか、さすがにこうも暖かくなってくると、“消費不信”という病気持ちの私でさえも新しい服や靴を仕入れたくなってきますな。なので、銀座あたりで商品の原価と売価に疑心暗鬼になりながらチマチマっと買い物をし、めぼしい展示会でもあれば行ってこようかなと思いまする。
それはそうと、絶対音感なる能力は幼い頃にしか身に付けられませぬが、どうしようもなく苦痛なこの能力、というか病気、商品の現物を見た瞬間にコスト構成がわかる能力は成人してからでも十分身に付けられますので興味のある方はトレーニングしてみれ下され。ただし、仕事には役立ちますが生活する分には本当に苦痛ですし、いわゆるスロー・ライフ的な生き方に激しくあこがれるようになりまする。
例えば、六本木ヒルズ的な消費活性化空間に間違って行ってしまいますと、四方八方から販売員という名の悪魔の潜在意識下の声が恐ろしいボリュームで聞こえてきますし、商品は数字と戦略のコンビネーションに見えます。もちろん買い物を楽しむなんて気持ちにはなれません。なので、自分には真似できないという意味で“Shopping is entertainment!"と堂々と言ってしまえる楽天の社長様は大変尊敬しております、はい。
って、思いつくまま書いてみたけれど、世の中には知らない方が幸せなコトってありますな。また、知らないからこそ堂々と主張できることもありますな。テレビや雑誌などで「これからは自己責任の時代です!」というようなコトを仰るエライ方がおりますが、実際、そういう方が“自己責任”という言葉が内包する事象を理解しておられるかどうか、私は激しく疑問に感じたりしてしまいまする。
だって、多くの場合、そう主張できる人はそう主張できる立場、要するに、上の例でいえば、“自己責任”という言葉が内包する事象の外に自分を位置づけているからこそなワケで、事象の内にいる人間は、そんなの普通のコトすぎて“自己責任”という言葉すら必要としていないように感じられまする。とか考えてしまう人間だからこそ、私は“消費不信”だけでなく、“学者不信”になってしまったのでありましょうな・・・。っうか、不信という病に侵されると面倒ですな。なので皆さんは気をつけて下され。かしこ。
■□■□■□■□■□■追記。□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
・コスト構造の瞬時判断力について。上ではデメリットばっかり書いてしまったけれど、メリットとは言えないまでも良いコトはありまする。たま〜に、ホントにたま〜にだけど、感動して泣きたくなる程美しいコストや戦略諸々のアロケーションをもつ企業や商品を目にすることがあり、誠に至福でありまする。そういうとき、しみじみ生きててよかったと思うし、もちろんそこの株も買いまする、はい。
・さらに追記、というか近々書くかもしれないネタとしてメモ。
時期的には今更なんだけど、さっき
『われ思ふ ゆえに・・・』サマの3月22日分の日記
「顔出し」にて、山田詠美氏のプロフィール写真についての言及を発見。私は山田氏の書籍は高校生の頃から8割方読んでる人なので、氏に対する意見には敏感なのであるよ。次回のネタにいいかもしれん。(そういや実は、この日記読んでくれている方に山田ファンって多いっぽいんだよな。)