土曜から山形県へ。ついでに山形大学をチラッと見学。敷地は私が通っている大学よりも狭い。けれど、理系も文系も1つのキャンパスにあるからか、学際的な感じがしたし、雰囲気も素敵でありました。理学部の掲示板に『物理学補講』の文字を見つけ、「あぁ、出たいよ、その補講。」と思った・・・。(→物理、復習しなきゃなんだよなぁ。。。)
で、1泊し、仕事の予定があったため今日の夕方に帰宅。メールチェックをしてから出勤しようと思い、メーラーを始動。数あるモノの中で、とあるメールが眼に留まった。で、ちょっと憂鬱に・・・。
正直、「あぁ、そうきたかい。」と思ったよ。確かに私にも悪い部分はある。反省する部分はある。だって、知識、情報、感情を、同期化し、共有できるようなシステムが組織には必要だということを知っていたクセに、相手にそのことを理解し易い方法で伝える努力を怠っていたのは明白。
けれど、そうアドバイスしなかったのは、相手が正当な対価を支払う準備がないと知っていたからだ。明確な対価がなくちゃ仕事できるはずないって。「ビジネスとして」と言ったのは相手の方だ。どっちが悪いとかという問題じゃないんだよなぁ・・・。
要するに、相手と私の“ビジネス”という概念への認識がズレ過ぎていたのだ。冷静かつ相対的に考えてみれば、私は経営・商売ってモノに恐ろしく厳しい人間なんだろうよ。今回の相手はそういった認識のギャップを把握していなかったらしい。甘く見られたものだニャぁ。。。
「ケンカや別れの原因の大部分は“誤解”である。」という言葉を以前どこかで眼にした記憶がある。その人のメールを読んで最初にこの言葉を思い出した。言葉では足りない部分を、お互いに色々と考え、想像し、埋め合わせていく。相手の気持ちを推し量る。時として、こうした日本的コミュニケーション・スタイルは、在りもしない相手を創り上げていく。
そう、“誤解”なのだ。今回の“誤解”の原因は、コミュニケーション、特に感情・認識の言語化不足、それと単なる手違いだよなぁ、、、とほほ、であーるよ。。。
仕事から戻り、もう一度考えてみた。相手の出方に対して、私はどういう反応をするのがベストなんだろう、と。
『あの人の認識している現実はどんな現実なのだろう?自分の現実とどう違うのだろう?』と紙に書いてみた。デスクの前に貼ってみた。この新しい教訓の隣には『どうすれば変えられるのだろう?と、常に考えよ。』という文字。しばらくこの2文を眺め、考えること10分。
結論。まずは“誤解”を解く努力をしよう。改善できたならコミュニケーション・システムの提案を、ダメなようならその時は相手の言う“縁”がなかったってコト。気持ちよく、なるべく気持ちよく、その“縁”なるモノを切るよう努めよう。ダメでも、ああいう経営者には絶対になってはならないっていう教訓にはなるだろう。それが今の私のポジションではベストなアプローチでありましょう。
っうコトで、今日もまたグチっぽい日記でした。。。